当宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名です。江戸時代の相撲興業は京・大阪からはじまりますが、 トラブルが多くしばしば禁令が出ていました。その後禁令が緩み、貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許されます。その地こそが当宮の境内だったのです。以降約100年間にわたって本場所が境内にておこなわれ、その間に定期興行制や番付制が確立されました。そののち本場所は、本所回向院に移っていきますが、その基礎は当宮において築かれ、現在の大相撲へと繋がっていくことになります。詳細は小島貞二著『江戸勧進相撲と富岡八幡宮』 (富岡八幡宮社務所)の一読をお薦めします。

横綱力士碑

 明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑が建立されました。この碑には初代明石志賀之助から72代稀勢の里関までの四股名が刻まれていますが、その大きさは高さ3.5メートル、幅3メートル、重量は20トンに及び、横綱を顕彰するにふさわしい堂々たる石碑です。
 新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式がおこなわれ、新横綱の土俵入りが奉納されます。また両側には伊藤博文、山県有朋、大隈重信といった賛同者の名が刻まれており、広く各界から協賛を得て建立されたことを物語っています。



新横綱土俵入り


比べてみよう 大きな手
巨人力士手形足形碑


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