神から人へ、人から神へ。
神から人への教えは変わらず、今も昔の変わらぬ教えよ。
本日そなたに申し伝えん、神から人への教えを広げ、さらに広めてゆく方法を。
さらには人を導きて、人を救いて助ける道を。なれども先に問いを問えよ。
疑問を晴らして後に伝えん。
第4号  2003年6月28日拝受
 
霊、霊魂、魂の違いについてお教えください。
 
では教えん。三つのものは同じもの。もともと一つの同じものなり。
人に宿りてこの世に下れば、即ちそれは魂なり。命は肉体動かす力。なれば肉体滅びし後には命はなくなり、消えゆかん。

霊魂それは肉体なくし、この世を彷徨う間の名なり。霊魂なるは肉体持たぬ、意思のみ残す波動なり。
霊なるものはさらに高次の、この世の次元を超えし世界の、意思ある波動、エネルギー。人を導くものもあり、人にとりつくものもあらん。

現世の次元を超えし、四次元世界を生きるなり。なれどまだまだ人に近く、人の世界を見守りて、導くものもあり、人にとりつくものもあらん。
なれど現世の次元を超えし、四次元世界を生きるなり。なれどまだまだ人に近く、人の世界を見守りて、導く者もこの世界なり。

人の世界の現象事象の、多くは霊にて導かれなん。なれば人は身近な霊と、常に共にあるものなり。なれば人の交信するも、霊を通して取り次がれなん。神との次元はさらに遠く、肉体あるは不可能なり。

間を介す霊魂は、霊の教えをさらに低き次元に落として人へと伝へん。
なれどそれらは五感にわからず、意識の奥の底にありし、受信機通じて動かすものなり。
なれば人の無意識なるが、最も神に近づき易き、潜在意識の奥にて眠る、神との入り口、接点なり。なれど人は気づかぬままに、他なる教えに操られ、己を守る守護霊離れ、別なる霊に従いて、迷える道に落ち行くなり。

なれば人は心せよ。無意識にある汚れ曇りを。気づかねばこそ、危うき道なり。気づかず落ちる迷妄なり。
神は教えを満遍なく、偏ることなく四方に放ちて、そをば受け取る魂求めん。
肉体持ちし魂に、語り呼びかけ、目覚めさせんと、時空を問わず、通信送らる。
なれど現界現世の、肉体持ちし魂は、肉体のみに頼りしあまり、己の御魂の奥にある、尊き器を汚れさせ、曇らせしままに死を迎えなん。

神の嘆きもそのことなり。神の御魂を分け与え、御魂を磨きて霊魂となり、さらに高めて霊として、この世の魂、霊魂を、導く霊を育てたし。

《神様から分けられたときのものは、魂ということでしょうか。また霊というのは魂の昇華したのちの、高次元の世界にあるときの呼び名と考えてよろしいのでしょうか。》

さにて正しき解釈ならん。全ては同じものなれど、次元の高さ、昇華の程度、さなる違いを表すなり。なれど一度昇華すれども、絶えざる精進努力を要す。曇りを作らば再び落ちて、魂からのやり直し。
霊魂なるは中間なれど、現世来世を行き来して、三次の世界に留まるものなり。

肉体持つか持たざるか、それのみ異なる違いなり。
 
魂は人間だけのものではなく、動植物にもあると思うのですが
 
そもまたつまらぬ、無駄な問いなり。人間の持つ魂は、神から直接分けられしもの。動植物の魂は、波動の異なる次元のものにて、現世のみに存在するもの。ならばそれらの魂は進化も昇華もせぬものらなん。なれど神の意図を外れず、神の意思に忠実に、神の慈愛を表すのみ。
子孫を作り、生を伝え、後の世界に変わらず残す、そのみがこの世の勤めなり。

なれば争う必要もなく、神への感謝に満ち溢れ、喜びのみの生ならん。生まれしときと同じ命を、繰り返し生む、自然の営み。
自然の連鎖に委ねることこそ、彼らに課されし使命なり。それを全うし、成就して、再び別の命とならん。

《それは同じ動植物になるのですか》

多くは同じ種族なり。彼らに欲も望みも無し。与えらるもの、そのみで足りて、何の不足も不満も無し。なれば多くの動植物は同じ生を繰り返すなり。
 
では時には異なる種族になることもあるのですか
 
子孫を残せぬ異変のありて、種の滅びなば、そもあらん。
最も憂い悲しむべきなり、神の慈愛を滅ぼすは。かかる事態の多くは素は、人のあやまち、愚かさなり。自然の連鎖を壊すが人なり。神の慈愛を見失い、己の欲望、我欲にくらみ、自然を荒らして省みもせず。

次から次へとむさぼりて、全てを絶やすが人間ならん。
なれば人は己の御魂を磨き浄めて、目を覚ますべし。己の犯せしあやまちの、積もり溜りし今の世を見よ。

今の世界は末世ならん。地球の限界、猶予は適わず。今このときが最後の今なり。
最期の前に目を覚ますべし。曇りし御霊に光を当てよ、
己の務めを思い出すべし。神から賜り、この世にある意味、命の尊さ、奇しき定めを、心新たに思い返せよ。

全てが必然、神の意のまま。なれど感謝を忘るなかれよ。この世に生れて命永らえ、不自由なきこそ奇跡なり。
平和も富みも健康も、神の許しのあればこそなり。一つも己の意思ならず。能力ならず。当然ならず。謙虚に喜び、ひたむきに、神への祈りを忘れるなかれ。人の力の弱さ儚さ。自ら犯せし罪さえも、償い得ぬが人間ならん。

さても無力の人間なれど、神への祈りを祈りしときには、神の力が働かん。神の光が全てを救わん。病も汚れも浄めゆかん。
祈りを欠かさず、波動を広げよ。必ず波動は広がらん。目には見え得ず、耳には聞こえぬ、なれど必ず広がりゆかん。

ことばに出すも、想念のみにも、祈りの波動は込められて、神に届きて広がらん。
目に見え変わるは後のこと。今は焦らず、ことを急がず、神を信じて祈ることのみ。この世を救う想いを高め、信じる気持ちを強めゆくこと。焦りせいても何も変わらず。神を信じぬ心なり。泰然として今を生き、悠然として未来を見据えよ。

神の慈愛を信じきり、神の力に任せきること。己に何もなせぬを悟り、無力の己を受け容れよ。
さらにあらがい、抵抗すとも、神の前には無力に等し。神の計らる未来に預けて、素直に従い、生きることのみ。

神の前なる素直とは、ただひたすらに預けきること。己の下らぬ計画予測は、全てが外れ、実現せざる。神の壮大雄大なる、宇宙全ての経論は、太古の昔に定められ、それを変え得るは何物も無し。
現世のみしか目に入らぬ、卑小な命に及びもつかぬ。人の作りし唯物の学問理論は、神を否定す根源ならん。さなる学問理論にて、宇宙の真理は何もわからず。つまらぬ詮索、曲解ばかり。

真理を正しく伝えるための、宗教さえも堕落せり。さなる末世の今なればこそ、焦らぬ心を整えよ。焦りをあおり駆り立てる、邪霊の手先となるなかれ。慌てる要の露ほども無し。
神の仕組みに乱れ無し。瞬時の進みも遅れもなく、時を刻みてはかどりゆかん。
神に任せてただひたすらに、己の分に合うことをなせ。神にあやまち、見誤りなし。一人一人に相応の務めを課して、見守るなれば。


さてに本日、神と人、霊と霊魂、魂、動植物と、問いは広がり際限なし。なれどそこには多くの教え、変わらぬ教えに充溢せり。
なればよくよく読み返し、始めの問いの答えを越えて、神のご意図を読み取れよ。
知識は無駄なり。無用なり。生きる糧とし活かしてこそ、教えに意味あり。力あり。
よく汲み取りて生に活かし、祈りに写し、ことばに変えよ。その後行い、人にも広げよ。
祈りのこもりし行いならば、見えぬ力が発動せん。さにて、本日、長き教えなり。無駄にせぬよう、心せよ。さにて。


神と人。
神と人とが、昔、この世の始まりのときより、共に暮らし、共にこの世を創りし、その始めのときより、人は神を敬い、神を慕い、神のために祈りを捧げ、神からの、み恵を楽しみし。

そして、神は、人に与え、人を育み幸をもたらし、物を与え、万物の理を説き、その全てと、いかに調和し、統一されし体系の中で、いかに全てが、仲良く、円く、何不足なく、互いを尊重し、互いを高め合っていくべきかの方途を教え、そして人を、限りなく神に近き魂に、導き、育まんと、工夫、創意をなされしよ。なれば、人も、神のための捧げ物、神のための感謝言上、神々を讃え、崇める祝詞の数々で、神を喜ばせ、また、神を畏れ敬ってこし。
なれば、神と人とは真に一体、完全なる調和と合一の世界を生きし。




今、人は、神から遠く、神の存在すら、なきが如くに、手前勝手な物欲のみで、神への感謝、神への畏れ、、尊敬、畏怖、全て忘れし。失いし。
人は、今、このときに至り、ようやくに目覚め、立ち上がり、神に対し、神に向き合い、神を迎え、神に下座し、数々の過ち、数々の無礼、数々の非礼と傲慢を、残らず謝り、詫びを尽くさねばならぬ時を迎えし。

神は、この時、この日の訪れを、その昔より、待ち望み、人が改心、向上の時を、自ら招きし、多くの不幸、災害、事故事件から、悟り、気付きて、改心する日を迎えることを、心より待ちこがれておられし。

神の大愛、神の慈愛、広く大きく、深く高く、強く熱く、永く、遠く、果てなきこの世と、あの世を結び、今も未来も、昔も今も、変わらぬ神の愛を知る。
神人共に、生きるの意味は、神を畏れる魂と、神を敬う魂で、神のために全てを捧げ、全てを神にお任せし、神のお役に立たんがために、日々の精進積み重ね、人を愛し、人を敬い、人のために己をなくし、物への執着、金への執着、生への執着、一切のこだわり、わだかまり捨て、自由に、無碍に、囚われなく、縛り外して、高く飛翔し、大きく舞いて、風に任せ、天に委ねて、なおかつ方向過たぬ。

一途な心で、神を想い、人を思う。さなる心の境にまで、心高め、心説き、心放ちて、尚、心失わぬ。
さなる心を、神は愛さんかな。救わんかな。
難きこの世の修行と精進。なれど、心一つで、全てが変わる。
心強く、固く、意固地な人は、ときに神を見失い、神を過ち、神を忘れ、神の傍から離れ易し。
そは、人の執着、妄執の強きなれば、ときに神を慕い、敬うこともあれど、ただ一度の不幸、災難にても、神を呪い、恨むの心早き人なればなり。

心優しく、平らな人は、神を敬う心薄く、神を慕う気持ち弱けれど、神を恨むなく、呪うなく、常に神を忘れず、神に感謝し、神を思うの気持ち、失わず。
なれば、あまりに強く、激しき信は、他をも傷つけ、己も汚す。
なれど、ただ日常に、安らけく神を信じ、淡くほのかに神を思い、日々の努力を積み重ね、その営みに神を忘れず、神を心に置く信は、人を浄め、人を高め、緩やかなれど、必ずや、その魂を昇華させうるなり。

なれば、人は、かのように生き、かのように信じ、かのように行うべし。行ずべし。
人が人に望むことは、多く、物的な望みなり。
なれど、人が神に求めるは、物に限らぬ。金に留まらぬ。
全ての富、全ての幸運、名誉、名声、栄華と繁栄。人は欲望限りなし。
一つ得れば、二つ求め、二つ得れば、三つ願う。三つ、四つと積み重ね、次から次へ、不足見付け、次から次に移りゆき、一つのもの、ことに充足する心、少なし。
そを、心の貧乏、心の貧困、心の餓鬼と称するなり。心豊かに、心富む者は、何一つ得ず、何一つ与えられずとも、おのが魂の中に幸を見付け、おのが周りに喜び見出し、おのが周囲のことごとくに、富と安らぎ、心の繁栄、光の充満を与え、かつ与えられるなり。
心は体に、体は心に、互いが互いを映し合い、おのが魂の、今ある姿を指し示し、魂のままを映す鏡なり。



なれば魂磨け。魂浄めよ。
心豊かに、心満たされ、心の富を増やしゆけ。心の富は減らぬなり。心の富は消えぬなり。
人に与わば、与うるほどに、さらにさらに富みゆくなり。増え続くなり。満ちて溢れて、輝き増すなり。心の富は永久なり。心富ませて、魂磨け。心豊かに、魂育め。

魂育つるは、心なり。体なり。光なり。
光よく当て、心与えよ。心豊かに、魂満たせ。心高めて、魂照らせ。
魂育たば、神は自ずと降り来るなり。
魂、神を迎えて、更なる昇華を許さるる。神のみ光、魂を浄める。
魂の光は、人を照らす。人を高める。人を動かす。さなる力を持つものなり。

神と人。神と人とは、永久に離れず、永久に結ばれ、永久に行じてゆくものなり。
行は、人を高め、魂を高め、神を迎え入れるための、修業なり。鍛錬なり。
なれば、おのがためにのみ行じることなく、魂の昇華、神の降臨を乞い願いて、、行うものなり。
一つ一つが行に通ず。何一つ、行に通じぬものはなし。怠るとは、行わぬの意ではなし。何もせぬ意味でなく、魂入れぬ行いの意なり。心込めぬ行の意なり。神を思わず、魂を忘れて、ただ漫然と、体のみにて行じても行としての価値は、さらになきなり。

なれば、行を行うときにのみ神を思うのではなく、常に神を思い、全てが行なる心を持ちて、魂を込め、魂の浄めを願いて、行うべし。行ずべし。
なれど、心苦しく、狭く持たるな。
心は緩く、柔らかく、楽しき心で行えよ。
さにて、本日の伝え終わらん。明日に伝えん。

(ひふみともこ記・続神誥記・其他より)