第16号
 


フォトンベルトについて

神から人へ、人から神へ。
神から人への祈りは強く、さらにも急ぎて伝えておきたし。
さらにも多くの人の御霊に、届けて伝え、知らせたし。
なれど今の世、人々の、心は空しき空洞の、吹き過ぐ風に、聞く耳もなく、目をば開けど節穴如。
眼前にある危難も見えず、眼を晦ますは、金銭、権力。
今このときに伝える教えは、唯に人の心の救い。
悩める御霊の奥に潜める、己の力に抑えられぬ、苦悩の根源、時代の犠牲を、早くに救い、導き出して、光を当てて、清めたし。
互いの想念、悪心邪心を、さらに貶め、弱める素は、宇宙の運行、進化を望まぬ、地球支配を目論む者たち。
なれど多くの抵抗あり。悪を退け、地球を守り、豊かな未来を手中にせんと、地球の栄えある明日を描き、心の希望の花咲かせんと、未来の宇宙、地球の外より、地球を支援する力あり。
さにて本日、フォトンベルトその他、宇宙のことに関する問いならん。

フォトンというは光子の集まり。宇宙に偏在、横溢し、宇宙の星々、生物全てに、命の力を送るものなり。
なれど時にそは集まりて、地球の周りに帯となり、地球の生物・人間に、さらにも強き力を与えり。
なれど時に浄化も強く、悪心邪心の深き者、穢れの深き者にはきつく、さらなる禊となりて表る。
光は宇宙の彼方より、銀河も超えし遠き遥かの、距離にて測れぬ無限より、瞬時に広がり、伝わりゆかん。
なれば宇宙は全て等しく、光の恩恵、神の愛にて、守られ、抱かれ、進化せん。
今このときに、地球の穢れ、自然の破壊も甚だしく、人の人知の努力にて、穢れを清める限度を超えたり。
なればフォトンは集まりて、穢れし地球に力を与え、大地を揺るがし、雨を降らせ、地上の穢れを清めんと、初めの姿に戻さんとする。
人の力に清め得ぬ、欲望の渦、憎悪の連鎖を、絶ち切る手段は、地球の浄化。多少の犠牲も止むかたなし。人の目覚めを促すためには。
気付かず悩める、迷妄の者。地獄を好む、煩悩の者。神知と人知を分かてぬ者。宇宙の神秘を悟れぬ者。
全てが禊の対象なり。新しき世に残る価値なき、次元のそぐわぬ魂は、禊ぎて禊げず、分けるのみ。
なれば今は急ぎのとき。人の心を浄化して、悪しき想念、穢れし欲を、清き波動に高めるとき。
最後のときは、残り短し。一人も多くの魂を、欲から放ちて、自由を与えん。
人間界の瑣末な争い。得られる結果は何も変わらず。ただ繰り返す、奪い合い。
全てに絶望、夢もなし。
なれど最後に託せし希望。闇を照らせよ、一条の光となりて、輝かせよ。
神の祈りは光を強め、地上世界に降り注がん。
厳しき禊も神の愛。
豊かに巡る年月も、神の慈愛の恩寵なれど、さらにも深き愛こそは、今の地上の浄化ならん。
この世に起こる現象に、神の思いを読み解けよ。安らぎ、癒され、穏かならん。

さにて本日、悟りを要す今の世と、悟りを拒む趨勢を、フォトンを介して教えたり。
全ては同じ、神の願い。伝えは変わらぬ、一つなり。
よく読み返し、己に活かせよ。さにて。
 


神様に感謝し仏様に感謝せよとのおことばがありますが、仏様とはどのようなお役の方なのでしょうか。そして、神様とはどのように違うのでしょうか。また仏教における仏様とは、神様とは相容れないものなのでしょうか。また、もし並べてお呼びするとき、どのようにお呼びすればよいのでしょうか。
 


さてに一度に多くの問いかな。なれば分けて、それぞれ答えん。
先ずは一つ、神も仏も元は一つよ。人の世界の現象にて、事象に示し表すときの、表れ方の違いなり。
神は一つの大なる意思なり。
そこに幾多の役割を込め、一つ一つを現象として、この世に、写す必要あり。
なれば仏も、神の願いを、人に写すための働き。
この世に始めに表れて、神の教えを説きぬれど、人は誤解し、神と隔てて、異なるものと誤解せり。なれど教えの根本には、互いに同じことを教えし。
仏は人の姿となりて、人の世界に生きて死に、人の化身と考えぬれど、神の御意志をそのまま説きて、神の世界を広げんとせり。
人の世界に広まりて、仏教となる宗教なれど、教えは変わらず。
人の昇華と、人の生くべき根本教えし。
なれば宗教宗派は誤り。人の違いや区別を作りて、かえりて争い、いさかいの素。
よくよく学ばば奥にある、教えの心理は普遍ならずや。
なれば仏もお役は同じ。神の御意思を物質として、現象として表して、人の目に見え、耳に聞き、理解に易き形とせること。
なれど人は過ちて、どちらが上で、どちらが下かを、飽くこともなく繰り返す。
現象により測りなば、人の尺度は間違いばかり。普遍の尺度もなきものを。
仏の呼び名も、人の世のこと。人が決めなば、それにてよからん。
呼ばれる元の実相は、同じ一つの聖なる神なり。
仏を呼ぶも、神を唱うも、一つに通じ、届きてゆくなり。
仏教信徒、そも可なり。キリスト教徒も同門なり。
全ては神につながりて、正しき道へと通じゆかん。
仏の生前ありし時には、仏も神を敬いて、神の存在実在を、人へと伝え、広げしものなり。
形は変わり、姿は違えど、伝えし元は神なれば。
人の解釈、理解は変わりて、人の世界に合うように、人の尺度に合わされしもの。
なれば仏を信ずる者は、神を信ずと同一なれど、信ずる者は気付かぬのみ。
宗教宗派に囚わるなかれ。人の生まれて死ぬまでに、なすべきことは一つのみ。
道からはずれ、道に迷い、混迷多き世にあれば、人はますます混乱せしを。
一つの道に戻しなば、人は迷わず、安らぎを得ん。
多くに見えて、惑乱し、正しき道を見失い、心の苦しみ悩みを増やし、さらに惑いの底へと落ちなん。
真実なるは一つのみ。なれど現象事象はは多岐になり。
それぞれの時、所に応じて、真理は表れ人に示さん。
仏の呼び名にこだわるなかれ。仏を真に信じなば、自ずと神へと通じゆくなり。
神の世界にこだわるなかれ。神の表れ、起りなば、仏も神も同じこと。
人を差別し、隔てるなかれ。人は神の子、平等なれば。気付き悟りし者のみが、誠の幸に恵まれん。
気付かず悩む哀れな者を、救い導く手伝いをせよ。
そもまた神への縁を深めて、人との絆もさらに強まり、教えの光は早くに広がり、ますます栄えて豊かならん。

さにて本日、教えの奥義を答えしを。
教えの奥の神のご意図を、見抜く目を持ち、養えよ。
表面のみに目を奪われ、心を失うことを恐れよ。
さにて、本日、答えを終えん。よくよく精進、努力を続けよ。さにて。 
(以上、再掲載)

汚れについてお教え下さい

汚れというは人の全ての、生まれ落ちなんその前からの、現世、前世、前々生、この世に人の生まれし時より、人類全てが身につけしもの。
なれど人の全ての努力と、一人一人の努力によりて、汚れし罪も浄められ、残る汚れもわずかとなるらん。
始めの汚れは禊がれど、新たに作りし罪科のあり。
神を信じぬ心の汚れ、そが最大の汚れならん。
神を信じぬことの罪は、己の生を賜りし恩、この世に生きて長らうことの、何に感謝を捧ぐべきかを、忘れ、高ぶる 傲慢不遜。
神への感謝を後にして、物質文明、金銭に、感謝し、執着、目をくらませり。
何故曇りを深めぬるや。
神を失い、迷いし目には、光も映らず、何も見えぬや。
心の汚れを 恐れよ、人よ。
体を損なうことのみ気使い、心をなくして よきものかは。
許されし 行をば打ち捨て、禁じられし 業のみ喜ぶ。逆さまならずや。
神の心に適うこと、易きことなれ、振り向きもせで、徒に求むる、汚れの道を。
金銭、富が、さほどに尊く、ありがたかるや。至高のものか。
神の与える恵みを見忘れ、肉体のみの快楽に、魂捨てしか、交換せしか。
神の嘆きは、汚れにあらず。
心の弱き人間たちの、哀れな末路を憂うるばかり。
神の作りし、始めの清き、無垢なる魂、そを懐かしむ。汚れを浄める、そもまた行なれ、この世にあるうち、よく働けよ。
さにて償え、己の汚れを。
苦しき道にも、光はあるらん。憩い与える木陰もあるらん。
神への感謝を 忘るな、人よ。そのみが救われ、助かる道なり。
神への祈りを 怠るなかれ。
己の汚れを浄める上にも、さらなる昇華を賜るためなれ。
神は人へと託せしを。この世に楽園作れよと。
この世に神の 国立てよ。神の住む国、降りる地なれと。
なれど汚れは 蔓延しぬる。
人の欲望、執着、憎悪。それらがはびこり、行き渡りぬる。
神の降り得ぬ地となれば、人は浄めよ、祈りのことばで。
光で、文字で、音で、絵で。神の許せし、人の救いは、ただひたすらに縁を結び、神への感謝を甦らすこと。
そのみが人の可能な行い。後は委ねよ、神の御心。
おのが慢心、狂信は、かえりて邪魔なり。
妨げなれば。神にも救えぬ魂あれば、そもまたやむなし。仕方なし。
神は望まず、全てが救われ、再び汚れを深めゆくを。
汚れは体の奥底から、魂、心を蝕むように、知らずに汚してゆくものなれば、人はよくよく精進されよ。慢心、我執、よく戒めよ。
汚れを作るは心の働き。
誰にも汚れは あるものなれば、なしと思いしその時こそ、己戒め、気を引き締めよ。
心の隙こそ、汚れの素なれ、人を諌めるその前にこそ、己諌めて、省みよ。
さにて、汚れも取れ易く、神とのご縁も強まらん。
神とのご縁も、心次第。汚れ少なき心ほど、素直に信じる心となるらん。
汚れを恐るな。隠さんとすな。覆えど、消えぬが汚れなれ。
汚れを認めて、向き合わば、恐ろしくもなし、心の垢なれ。
うまずたゆまず、浄めればよし。そのためなれよ、人生は。
さにて、終わる。(2000年3月27日)