< 神社紹介 >

    あつ    た    じん   ぐう
   熱 田 神 宮    愛知県名古屋市
 
◎三種の神器◎
三種の神器とは八咫鏡(やたのかがみ)・草薙神剣(くさなぎのつるぎ)・八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)のことで天皇の御位と共に代々伝わる皇位継承のみしるしです。
 今でも三種の神器はそれぞれ鏡が皇居内に鎮座する宮中三殿のなかの賢所(かしこどころ)にお祀りされ、剣と曲玉は御所内剣璽(けんじ)の間に奉安されておりますが、鏡と剣は御代器で八咫鏡は天照大御神の御神体として伊勢の神宮に、また草薙神剣は熱田大神(あつたのおおかみ)の御神体として熱田神宮にお祀りされているのです。
 したがって熱田神宮は古くから最も重要な神社の一つに数えられて皇室・国家より篤い崇敬を受けてきました。また一方では、尾張地方一円の五穀豊穣を願う神社としても信仰を集め、現在でも「あつたさん」と親しく呼ばれて地元民に広く愛されています。
 
◎熱田神宮の創祀◎
 草薙神剣は天照大御神の弟である素盞鳴尊(すさのおのみこと)が出雲国で八俣大蛇(やまたのおろち)を退治した際、大蛇の体内から出てきたと伝えられる神剣で、その後天照大御神に献上されたものです。そして皇室の祖神である邇邇芸命(ににぎのみこと)がこの地上に降臨する際に、他の鏡・曲玉とともにもたらされ、やがて神剣に関しては伊勢の地に移ったとされています。その後、第十二代景行天皇(けいこうてんのう)の御世、天皇は御子の日本武尊(やまとたけるのみこと)に東国平定を命じられます。その際、日本武尊は伊勢神宮に叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)を訪ねられ、ここで草薙神剣を授けられて神剣とともに東国平定に向かうのです。やがて東国各地を平定した日本武尊は尾張国で国造(くにのみやつこ)(現在の地方長官)を務める尾張氏一族の宮簀媛命(みやすひめのみこと)を妃として平穏に暮しますが、伊吹山の荒神(あらぶるかみ)を退治する際、草薙神剣を宮簀媛命のもとに置かれたまま出陣して病に倒れ、伊勢国能褒野(のぼの)まで来たところで御亡くなりになられました。その時、尊は白鳥に姿を変えて羽ばたかれたと伝えられます。その後、神剣を畏れた宮簀媛命は尾張氏の神祭りの場であった熱田に神剣をお祀りして終生奉仕を尽くしますが、これが熱田神宮の創祀となります。現在熱田には白鳥が舞い降りたと伝える白鳥御陵、またその近くには宮簀媛命のお墓である断夫山古墳(だんぷやまこふん)があり、今でも夫婦仲むつまじく眠られています。

◎笑酔人神事◎
 毎年五月四日の夜、境内すべての火が消され神職がワハハハと笑う不思議な神事が行われます。お供え物も祝詞の奏上も行われず境内数ヶ所で笑うのみの神事で笑酔人神事(えようどしんじ)と言います。これは天智天皇七年(六六八)、新羅(しらぎ)(朝鮮)の僧に神剣が盗まれ、取り戻された後は皇居にて奉安されることになりますが、天武天皇十五年(六八六)再び熱田神宮に戻されたことを喜んだ故事に因んだものです。当時の喜びの大きさが活き活きと伝わって来ます。さらに翌日五日には神輿渡御神事がおこなわれます。これは神輿を中心に行列を整えて鎮皇門(ちんこうもん)跡(現在の西門)まで進み皇室の弥栄を祈るお祭りです。神剣が皇居から熱田へ再び戻される際、「熱田に遷るけれども永く皇居を鎮め守りましょう」というお告げを出されたことから、その約束に基づいて行われる神事で神約祭(しんやくさい)とも称します。
 草薙神剣はこれからも熱田の地にあって永くこの国をお護りしてくださることでしょう。