◎少彦名命◎
 淡島神社は全国に約千社余りある淡島・粟島・淡路神社の総本社です。主祭神の少彦名命は大己貴命とともに日本の国土開拓に励まれた神様で、体が小さく機敏で忍耐力と知恵に富み医薬・醸造等の道を広めたことでも知られています。また体が親指ほどの大きさだったことから一寸法師のモデルともされています。しかし国造り半ばで粟茎に登り、茎の弾力にはじかれて海のかなたにあるとされる常世の国に去っていかれました。
 なお淡島神社では少彦名命が医薬の神様であることに因んで古くより女性の病気回復や安産・子授け等に霊験あらたかとされ、さらに裁縫の上達、人形供養など女性に関するあらゆることに御神徳ありとされています。
 
◎創祀◎
 淡島神社の創祀は加太の沖合いの友ヶ島(現在の和歌山市加太)に少彦名命と大己貴命が祀られたことに始まります。やがて四世紀後半頃、仲哀天皇の妃である神功皇后が朝鮮へ出兵しますが、その帰路、突然の嵐に遭遇。
 しかし流れのままに友ヶ島に漂着し、無事を感謝して二神に宝物を奉納されました。その数年後、神功皇后の孫である仁徳天皇が友ヶ島に狩りに来た際、そのいきさつをお聞きになり、島では何かとご不自由であろうと、お社を対岸の加太に遷され御社殿をお建てになりました。これが淡島神社の起こりで、以後全国に広まりました。
 
◎針祭◎
 正月行事の事納め日とされる二月八日、一年間に納められた針の労をねぎらい今後の上達を祈る針祭(針供養)がおこなわれます。これは少彦名命が我が国に裁縫の道を伝えたという伝承に因んだもので、古針は本殿でお祓いを受けたあと、針塚に納められて土に返されます。
 また当日は納められた針を豆腐に刺しますが、これは平素固いものに刺されていたという労苦をねぎらう意味とされます。針は人間生活の根本である衣食住の「衣」を支えるもので、その恩恵を忘れてはなりません。
 
◎雛祭り◎
 淡島神社で誰もが目にする光景は、境内いっぱいに安置された無数の人形です。雛人形からぬいぐるみ、フランス人形といったものまでが全国から奉納され、その数は数万体といわれます。
 淡島神社の伝承によると男びな、女びなの始まりは御祭神である少彦名命と神功皇后の男女一対のご神像であるとされ、また雛祭りが三月三日となったのは、当初友ヶ島に祀られていた神様が仁徳天皇五年三月三日に対岸の加太へお遷りになったためとされます。さらに雛祭りの語源も、スクナヒコナ祭りが簡略化されてヒナ祭りになったとされ、親指ほどの大きさの少彦名命が「小さい」を意味する「雛」の語源とされます。
 
◎淡島願人◎
 江戸時代、淡島明神の人形を祀った厨子を背負い、その御神徳を説いて廻る淡島願人と呼ばれる人々が現れました。淡島願人は淡島神を大阪の住吉明神の妃と考え、妃は腰下の病のために住吉明神の忌むところとなって淡島に流されたとして、その伝承が婦人病に対する信仰を生みだしたと説きました。これは神社の伝承とは異なりますが、淡島明神を全国的に広めた要因の一つとなりました。また古くより各地に伝わる「流し雛」も淡島信仰の影響を受けたものが多く、淡島神社に直接参拝できない女性が病の治癒を願って淡島様へ雛を流したものとされます。
 これらの伝承に因み、現在淡島神社では三月三日に雛流し神事を行っており、多くの女性たちの思いが人形とともに神様の国に流されていきます。