◎布都御魂大神◎
 日本最古の道「山の辺の道」の中間点、深い緑の中に厳粛にたたずむのが石上神宮です。
主祭神はふ布つの都みたまの御魂おおかみ大神、ふるの布留みたまの御魂おおかみ大神、ふつし布都斯みたまの魂おおかみ大神の三柱で、ともに刀剣とその霊力を神格化した神々です。布都とは物が刀によってプッツリと切れるさまを表します。
 布都御魂大神は、初代天皇である神武天皇が大和攻略に苦戦していた際にたけ建みかづちのかみ御雷神から与えられた霊剣で、この剣を得て苦境を脱したとされています。当初、宮中でお祀りされていたこの霊剣が崇神天皇七年(三世紀頃)に石上の地に祀られたのが石上神宮の創祀となります。
また布留御魂大神は神武天皇より先に大和を平定していたにぎはや鐃速ひの日みこと命が天神から授けられたとされるとくさ十種のかんだから神宝とその霊力とされ、さらに布都斯御魂大神はすさのおの素戔鳴みこと命がやまたの八俣おろち大蛇退治に使用したとつか十握のつるぎ剱とその霊力とされます。
 古代史上、石上神宮は朝廷の兵器庫的な性格を持つ国家鎮護の社として、また魂を再生させる鎮魂の場として信仰を集め、その根強い信仰は現在でも続いています。

 
◎七支刀◎

 かつて石上神宮は本殿をもたず、拝殿の背後にある聖域(禁足地)を「御本地」と称して、その中央に主祭神が埋斎されていました。その後、明治七年に教部省の許可を得た発掘で、御神体が出御され、大正二年に御本地のなかに現在の本殿が造営されました。御本地では御神体のほかにも多くの出土品が発掘され重要文化財に指定されています。また境内の神庫にも様々な伝世品が伝えられていますが、なかでも有名なのが「七支刀」です。七支刀は刀身の両側に互い違いに三本ずつ剣の枝がはえている長さ七十四センチの鉄剣で、表裏に刻まれている銘文によれば、泰和四年(三六九)に百済(現在の朝鮮)が倭王(現在の日本)のためにつくったと記されています。これは『日本書紀』神功皇后四十九年条(三七二)にある百済より献上された七枝刀と考えられ、『日本書紀』の信憑性を考える上でも貴重な宝物となっています。

  
◎鎮魂祭◎
 11月22日、新嘗祭の前夜に斎行されるのが鎮魂祭です。鎮魂とは人体から離れようとする魂を体に鎮めて長寿を祈る神事です。これは物部氏の祖である鐃速日命の御子・うま宇摩し志ま麻じの治みこと命が「痛みは癒え、死人も蘇生する」という十種の神宝をもって神武天皇の長寿を祈ったのが始まりとされます。十種の神宝とは鏡、剣、玉、比礼から構成される十種の品々で「一二三四五六七八九十」と唱えてゆらゆらと振れば痛みを癒すといわれており、その由来から現在でも「ひとふたみよいつむゆななやここのたり一二三四五六七八九十ふるべゆらゆらとふるべ」と呪言を唱え、鈴の音を鳴らします。当日の境内は神秘に包まれ、参列者は神話の世界に引き込まれます。