伊能ウォーク無事到着 全国約1万キロ踏破!
  「めざせ、平成の伊能忠敬!」を合言葉に、「平成の伊能忠敬・ニッポンを歩こう・21世紀の100万人ウォーク」の出発式が当宮にて行われたのが2年前の平成11年1月のことである。
 伊能忠敬は江戸時代中頃の人で、若い頃は酒造業等を営み、隠居の後江戸に出て幕府天文方・高橋至時に弟子入り、測量術を学んだ。そして必ず当宮にて旅の安全を祈願した後、第1次から10次にわたる測量の旅に出て、実に17年の歳月をかけて日本中の海岸線を歩き、正確無比な『大日本沿海輿地全図』を完成させた。
 この「伊能ウォーク」はそんな伊能忠敬の足跡を辿ろうと企画されたもので、第2の人生を花開かせた忠敬にあやかって年配の方々が多く参加し、「敬老の日」にはテレビでも取り上げられた。
 それから2年経ち、全国47都道府県約800市町村を踏破、距離にして約1万キロ、のべ17万人が参加した長旅は、予定通り2001年元旦、日比谷公園に到着した。
 その翌日である1月2日、伊能ウォーク隊の代表が出発式を行った当宮に参拝、祝詞奏上の後、玉串を手向けて八幡様に無事到着の奉告と感謝の気持ちを表した。
 参加された皆さん、本当にお疲れ様でした。

伊能ウォーク出発の様子(平成11年1月)

 
紀元祭・建国記念式典 2月11日
 

 
 2月11日は今を遡ること2661年前、紀元前660年のこの日に初代神武天皇が大和国橿原宮でご即位された日である。戦前は紀元節として親しまれていたが、戦後廃止されてしまい、広範な国民運動により昭和42年建国記念の日として復活された。
 この日はまず朝9時より、建国の御聖業をしのぶ紀元祭が斎行された。宮司以下祭員奉仕のもと、皇室と国家の弥栄を祈念する祝詞が奏上され、巫女による「永代の舞」の奉奏の後、参列者によって玉串が捧げられた。
 祭典終了後、会場を当宮婚儀殿2階に移し、建国記念式典が開催された。国歌「君が代」の斉唱に始まり、神武天皇をお祀りする橿原神宮並びに畝傍御陵を国旗を通じて遥拝、祝辞に続いて「紀元節の歌」が歌われた。閉会にあたって参加者全員により聖寿万歳が声高らかに唱和され、一同この日の意義を噛み締めていた。
 紀元祭は橿原神宮をはじめ全国の神社で2月11日に斎行されており、各地で建国記念式典が催されている。
 国際化時代といわれる現代だが、真の国際化のためにはまず自国の歴史を知り、自国を愛することが第一歩である。そのためにも、建国記念の日の意味を国民が深く考える時が来ているのではないだろうか。

「紀元節の歌」の斉唱


←前頁へ  次頁へ→