特別寄稿

 

 昨秋、第126回直木賞に、八幡宮の氏子である富岡二丁目にお住まいの山本一カ氏の作品『あかね空』が選出されました。江戸後期の深川を舞台に、家族の絆を暖かい目線で描いたこの小説は、家族の崩壊が叫ばれる今、全国で話題となっています。
 作者の山本氏はしばしば八幡宮を参拝され、深川を愛する気持ちが作品にもあふれています。今回は「我が町・深川」と八幡宮への思いを山本氏に語っていただきました。

  

 
 8年前の1994年6月に富岡に越してきたことで、わたしは本格的に時代小説を書き始めました。
 とはいっても越してからの3年は、まだ新人賞への投稿時代です。だれかが原稿を待ってくれているわけでもなく、適切な指示をくれる編集者がいるわけでもありません。つまりは「だれにも期待されていない、おのれとの戦い」の日々なわけです。
 なまけたければ幾らでもなまけられるだけに、書き続けるには気力が必要でした。

くじけそうになり、弱気があたまをもたげ始めると、私は筆をとめて富岡八幡宮の境内をおとずれました。
 早春の梅。春の桜。初夏の若葉。そして真夏の境内にひびくセミしぐれ。晩秋には熟れ落ちたぎんなんの匂いが玉砂利からも立ちのぼり、冬の入日では酉の市の威勢に触れることもできます。
 八幡宮の境内に一歩を踏み入れれば、そこには『江戸』が息づいていました。
 深川の町々に色濃く残っている人情と、富岡八幡宮、深川不動尊、永代寺などが伝えてくれる昔のひとの信心深さとが織り合わされて、数百年も昔のことを肌身に感じることができるのでしょう。
 このことが時代小説を書く者にとってどれほどありがたいことか・・・。

 深川は祭の成勢も見事です。
 「わっしょい」だけのきっぱりとした掛け声が、神輿を担ぐひとのこころをひとつに合わせてくれる気がします。
 ひととひととのかかわりが希薄になるばかりの今日、祭を通して知る人肌のぬくもりこそが、いまの厳しい時代が渇望しているものだと思えてなりません。
 深川と、富岡八幡宮を舞台にした小説で直木賞をいただきました。このことは、わたしの生涯の誇りです。
 

 第126回直木賞を受賞した『あかね空』。山本氏の作品にはこの他にも深川を舞台にした作品が数多くあります。深川っ子はご一読を!


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