〜 信仰を訪ねて 〜 |
東北地方のイタコ |
2000km以上にわたって細長く伸びる日本列島では、地方ごとの特色に溢れた風俗が育まれ、様々な祈りの形が伝えられて来ました。その祈りは神仏へだけではなく、亡き人へも向けられます。今回は人々のそんな祈りに応えてきた、イタコの習俗を見つめてみましょう。 |
これまで全3回にわたり、沖縄に伝わる信仰をご紹介しました。そこでは高い霊力を持つと信じられている、女性が大きな活躍を果たしていました。中でもユタと呼ばれる巫女は、日常生活の中で民衆に神や祖霊の言葉を伝える大切な役割を担っています。 このユタのように目に見えない存在を感じ、交信することの出来る人間を、シャーマンと称します。神や霊の言葉を聞き、伝えるシャーマンは、世界中に古くから存在し、現代でも多くの人々の助けとなっています。 そして日本を代表する今ひとつのシャーマン、それがイタコです。 ●恐山のイタコ イタコは、主に青森県や秋田県を中心とする東北地方で活躍する、女性宗教者です。亡き人の声を伝えるイタコの存在は、ご存じの方も多いのではないでしょうか。 イタコといえば恐山、と連想する方もおいでかもしれませんね。青森県下北半島に位置する恐山は、硫黄の臭気に包まれた荒涼とした様子がこの世ならぬ世界を彷彿とさせ、死者の霊魂の集う霊場として現代でも信仰されています。この世の彼岸とも称される、この一種独特の霊場でイタコが遺族と語らうのも、ごく自然な姿かもしれません。 けれども実は、イタコが恐山にいるのは基本的には、7月20日から24日までの恐山大祭、ならびに10月中旬の3日間に行われる秋季祭の時のみ。普段は「霞場」と呼ばれる各人の縄張りである村々を巡り、地元民の依頼に応えます。 ●イタコへの道のり 人々の助けを果たすイタコは、元々は社会的弱者のための職業でした。具体的には、目の見えない者、弱視の者が生きていくための生業だったのです。 幼い時分に先天的、あるいは後天的に視覚に障害を持った彼女たちは、生計のため、12・3歳の頃に師匠のイタコのもとへ弟子入りをします。住み込みで師匠の身の回りの世話をしながら、最低4年間の修行を行います。呪法の教授はすべて口伝で行われ、その修行は決して楽なものではありませんでした。 そうして一通りの習得が認められると。神ツキの入巫式、すなわち神懸かりの試験が待っています。このテストにパスすることで初めて、イタコとなることが出来るのです。 様々な生活手段を選択することが可能な現代では、あえてイタコになろうという方は少なく、現役のイタコのほとんどは高齢者ということです。 ●口寄せ さて、前述した期間に恐山に赴くと、イタコたちが露店を開くように集い、依頼者を待ちます。これを「イタコマチ」といいます。依頼者はそこで、イタコに故人との仲立ちをお願いするのです。 このイタコが行う霊との交信を、「口寄せ」といいます。さらに口寄せには、「仏降ろし」と「神降ろし」の二つがあります。 仏降ろしは、亡くなった霊と交信の仲介をすること。一方神降ろしとは、神との交信の仲介をすること。イタコには実は、占いや予言を行い、更には民衆の現世利益の祈願に応えるといった、別の役割も存在するのです。 ところでどうしても考えてしまうのが、この口寄せの真偽。本当に故人と話しているのだろうか。声が聞こえるのだろうか。 結論から言えば、それは依頼者本人にしかわからないことでしょう。けれども大切なのは、口寄せが「故人ともう一度話したい」「故人の気持ちを知りたい」という、人々の切なる願いに応えてきたという真実です。イタコの最も大事な働きとは、霊の言葉を伝えることではなく、遺された者の思いを聞き、心をほどくことにあるのかもしれません。 |