江戸六地蔵

 

 子供の守り神としても親しまれている「お地蔵さま(地蔵菩薩)」ですが、釈迦の入滅後、弥勒菩薩が出現するまでの間、六道を輪廻する衆生を救う菩薩とされています。

 日本では地蔵菩薩を六体並べて祀った六地蔵をよく見かけます。これは、仏教の六道輪廻の思想に基づき、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)それぞれの地蔵菩薩が現れて衆生を救うという信仰から建てられました。

 また、六道を守ることから道の守護者として道祖神の信仰と結びつき、集落の境界や辻に結界として建てられるようになりました。

 江戸六地蔵は、深川の地蔵坊正元が寄進を募って造立したものです。
 地蔵坊正元が若かりし頃大病を患い、両親が熱心に地蔵菩薩に病気の平癒を願い、自らも一心に地蔵菩薩に願い、治癒の後は多くの菩薩像の造立を誓ったところ無事に平癒しました。

 その為京都の六地蔵に倣い、宝永3年(1706)より多くの寄進者を得て、神田の鋳物師太田駿河守藤原正儀による丈六金銅の地蔵菩薩坐像を江戸の出入口になる東海道の品川寺(南品川)・奥州街道の東禅寺(東浅草)・甲州街道の太宗寺(新宿)・中山道の真性寺(巣鴨)・水戸街道の霊巌寺(白河)・千葉街道の永代寺(富岡)に造立しました。

 六番札所となる永代寺の地蔵尊(享保5年造立)は富岡八幡宮の二の鳥居付近にあったそうですが、残念ながら明治元年(1868)の神仏分離令による廃仏毀釈により取壊されてしまいました。それ以外の五体は全て東京都指定有形文化財に指定されています。