木    場

 

 「木場」とは「木置場」のことで、江戸時代の初期は各町に設けられていました。しかし大量の材木が火災を引き起こす原因のひとつと考えられたことから、寛永18年(1641)、幕府は木場を深川へ移転させました。深川は、江戸市中に近く、水の便に勝れていて材木の運搬に適しており、更には発展途上で広大な土地を確保しやすかったためと考えられます。

 当初は現在の江東区佐賀福住周辺に設けられましたが、その付近が隅田川の河口という立地から流通の拠点「蔵の町」として造成されることになったため、現在の木場公園周辺に用地が与えられました。以後埋め立て造成工事が進められ、その間木場は一時、猿江(現在の猿江恩賜公園周辺)に移転されますが、元禄14年(1701)造成工事が整い、新しい「木場」が誕生しました。以後、木場は江戸・東京最大の材木市場として発展していくこととなります。
 
 しかし戦後、地盤沈下による河川機能の低下、河川公害等により、昭和51年木場は移転を余儀なくされ新たに「新木場」が造成されて大部分が移転、その歴史に幕を閉じました。
その後、跡地に造成されたのが木場公園で、現在は都民の憩いの場所として親しまれています。
 
 また毎年秋に木場公園で開催される江東区民まつりでは、古くより木場で培われた伝統芸能「木場木遣り」「木場の角乗」が披露され、木場の俤を偲ぶことができます。