深川といえば多くの店が立ち並ぶ門前町を思い浮かべますが、かつては八幡宮前まで海辺が広がっており、江戸随一の漁師町として栄えていました。
深川の漁師町は寛永6年(1629)、隅田川河口の東側に誕生しました。鱚、小鯛、アイナメ、牡蠣など多くの魚介類が獲れ、周辺には仲買の人々が続々と転住、安政5年(1858)には日本橋本船町組合に加入して幕府へ魚介類の納品、販売を行うまで発展しました。
この深川の漁師町は明治以降も繁栄し、それまでの魚介類に加えて海苔の養殖もおこなわれました。深川周辺は海水と淡水が混じり合うところで品質の良い海苔が育ち、当時「深川産」の海苔は高級海苔の代名詞として知られました。
このように江戸時代以来繁栄を続けた漁師町でしたが昭和30年代、水の汚染と埋め立ての進行が原因で衰退し、昭和37年に漁業協同組合が解散して、深川漁業は長い歴史に幕を閉じました。
現在は漁師町の面影が薄れてしまいましたが、漁師の賄い飯として重宝されていた「深川飯」「深川丼」は今でも多くの人々に親しまれ、さらに当社の夏祭りではかつての漁師仲間が集まって神輿の渡御が行われます。
漁師ゆかりの人々が町会の枠を超えて威勢よく担ぐ「深浜神輿」によって当時の漁師町の活気と心意気が今によみがえります。 |