第4回 天下の名城・姫路城
 
 瀬戸内海に面した兵庫県姫路市。この街にそびえる姫路城は、その白壁の美しさから「白鷺城」と異名される、壮大と優美を兼ね備えた城郭です。平成五年に、日本の城郭建築としては唯一の世界遺産登録を受けています。
姫路城の成り立ち
 姫路城が建つ市街北部の姫山に初めて築城されたのは、室町時代の貞和二年(一三四六)といわれます。もっとも当時は城というより砦のようなものでした。時代はぐっと下って戦国の世、織田信長の家臣・羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)がこの地を播磨統治の拠点とし、城郭を整えました。しかし、この時点でも現存する遺構とは異なるものでした。徳川の天下となった慶長五年(一六〇一)から、徳川家康の娘婿である時の城主・池田輝政が行った大改修によって、ほぼ現在の姿となりました。
構造の特徴
 池田輝政による改修当時はまだ大坂を中心に豊臣家の勢力が残っており、そのため、西国守護の要として実戦本意の造りとなっています。姫山に天守閣を置き、三重の曲輪(くるわ)で囲んだ平山城で、第二・第三の曲輪の中に城下町が設けられました。いわゆる「総構え」と呼ばれる形式です。
 第一の曲輪内に入ると、地形や秀吉による造営を利用した迷路のような通路が続きます。道幅に変化がつけられ、門は小さく、あるいは隠れるように設置してあります。これらは敵を容易に天守へ近づけない工夫なのです。また、城壁の随所に狭間(さま)という射撃用の切穴が設けられていますが、三角や四角の狭間が並ぶさまは、現代的なデザインにも見えます。
 城のシンボル・天守閣は、江戸時代のものがそのまま残る貴重な遺構です。この天守閣にまつわる不思議な話は、泉鏡花が代表作『天守物語』の題材としたことで広く知られています。私たちがこの天守を見て感じる美しさとは裏腹に、姫路城は非常に堅牢な城であるといえます。

近代以降
 明治時代になると、廃城令によって全国の城が破却や売却の憂き目に遭いましたが、姫路城は一部が取り壊されたものの、運良く保存されました。その後、明治末期・戦後間もなくの二度の大改修を経て、国宝・姫路城は日本一の城から世界の名城となったのです。まもなく着工予定の「平成の大改修」では、阪神大震災の教訓をふまえた耐震補強がなされる予定です。
 

「世界遺産」とは、1972年の国連教育科学文化機構(ユネスコ)総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(通称:世界遺産条約)に基づき、遺跡・景観・自然など、人類が共有すべき普遍的な価値を持つと認められたもののこと。世界各地に、現在700件を超える物件が登録されています。