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史跡としては栃木市の太平山神社の石段の途中に少年時代の彼が受け止めたと云われる「綾川の力石」や、大宮市の薬師寺堂境内に当地で興行を行った際、大変な人気だったことに感謝して寄進したとされる「綾川地蔵」という小さな地蔵が残されています。 この綾川を二代横綱とするにあたっては横綱力士碑建立にあたって発起人である陣幕久五郎が独自に研究、人選をしたようですが、石碑建立の後に議論となりました。その中でも二代目の綾川に疑惑が集中したようです。そんな中、当の陣幕が亡くなり議論はうやむやになり、調査不十分の過程で、石碑に刻まれたものが現在そのまま公認されています。 なにしろ横綱の制度が整う前の時代ですから、何を正しいかを決めるのは難しい問題です。いずれにしても綾川五郎次という人気力士が江戸時代の相撲史を彩ったことは間違いありません。 |
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※故実門人 吉田司家が相撲界の功労者を門弟にしたという証 |