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『神から人へ』 上・下巻
『神誥記』
筆者 ひふみともこ (本名 一二三朋子)
東京大学文学部国文学科卒。筑波大学大学院修士課程修了。お茶の水女子大学にて博士号取得。現在、大学講師。1999年9月2日よりワープロによる「自動書記」にて神の意志の伝達(取次ぎ)を始める。

1999年10月23日
 人から神。人から神への願い、祈りには、おのが我欲、おのが利益、おのが権力、その他諸々の、自己中心的の願いが含まれてはならね。全て、神はご存知なれば、神は人の純粋なる、無垢なる 無欲なる 願いのみを 受け取らる。聞き入れらる。叶えらる。なれば、人は、神の御心を知り、そに適うことのみを願い、念じ、祈るがよし。さにて、神は、人の思い、願い、祈りの中に、その者の精進、御魂の姿、その時点での、その者の昇華を測られ、決められ、授けらる。人が邪の思い、卑しき願い、浅ましき祈りの心で、神に何らかの 願い事なせば、神は仕組みによりて、その者の誤り、過ち、曇り、汚れを示され、禊によりて、その汚れ、曇りを浄め、その者に 気付きを 与えんとされる。なれば、人は、おのが願い、祈りが届かぬときは、よくよく おのが自身の心、魂、行いを省み、反省し、改め直すべし。悔い謝るべし。詫びて、感謝すべし。神の御心、細かき心遣いと 温かきご配慮に。なれど、人は弱く、たわいなきもの。神の御心に適わぬ 願い 祈りを 神に捧げ、神に 頼み、その成就を願うあまりに、おのが姿、心、魂、行いを 省みるに難く、ただただ、目先の事象、現象にのみ 心奪われ、そがため、神のお計らいも、お仕組みも、ご意図も見えず、辛きことを恨み、思い遂げられぬことを呪い、この世に生きる、生かさるること儚み、遂には おのが邪心の奴隷となり、日々、恨み辛みと、人への嫉妬、人への憎悪に 生きるなり。過ごすなり。送るなり。なれば、人は、いかにして、おのが我欲、邪心を捨つべきか、浄めるべきか、高めるべきか。そは、人の永遠の課題なり。疑問なり。悩みなり。なれど、神はお示しくださらん。一人一人に見合うみ役をもちて、その者に、己を生かす心行、体行、霊行を、与えられん。許されん。課せられん。なれば、人は、他事思わず、考えず、ただひたすらに、み役果たし、神に捧げ、神に見守らるるの心を持ちて、神を信じ、疑わず、神に委ねる気持ちが大事、大切なり。邪の心は、神を見失い、人と比べ、人との違いを神に 恨み始むるのときに、茅生えるなり、生まれるなり、はびこるなり。
(神から人へ・上巻231頁)