境内末社  車析社・客神社
 
 境内の東側、合末社の一番右端にお祀りされているのが車析社(例祭日5月14日)と客神社(翌15日)です。
 車析神社は、京都に御本社があり、平安時代後期の儒学者、清原頼業命を御祭神としています。清原頼業は学問の才能に著しく長け、「並ぶ者無し」と評された程の人物で、「国の大器、道の棟梁」とも
称されました。
 頼業は文治5年(1189年)68歳でこの世を去り、嵯峨に葬られましたが、この頼業の廟が車折神社の前身と言われています。
 車析という名のは、鎌倉時代に社前を通りかかった後嵯峨天皇の御車の長柄(牛車などを引く2本の長い棒)が折れたからとも、また後嵯峨天皇の御車が社前にさしかかると、突然前に進めなくなり、車前(車析)大明神の神号を授けたからともいわれています。また、頼業は生前桜をよく好んだことから「桜大明神」とも称せられました。

 次に客神社ですが、客神社とは一般に外部から来訪したり招き入れられたりした神々をお祀りした社のことで、当宮の客神社には天宇受売命がお祀りされています。
 天照大神が岩戸に籠られた際、岩戸の前で舞い踊って神々の笑いを誘い、岩戸の扉を開かせた神話は御存知の方も多いことでしょう。そのため芸能の神として広く信仰を集めています。
 また、京都にある車析神社には境内末社として天宇受売命をお祀りする芸能神社があり、多くの芸能人が参拝し、入口にはその名を記した玉垣が並んでいます。
 当宮の車析社・客神社の由緒は明らかではないのですが、御本社である京都の車析神社に天宇受売命をお祀りするお社があることは何か関係があるのかもしれません。
 今回を以ちまして当宮お末社17社の紹介を終了致します。小さなお社ですが、それぞれ信仰があり、歴史があることがお分かりいただけたかと思います。皆様も当宮にお参りの際、お末社にも是非ご参拝ください。 

*当宮お末社17社の紹介はこちらをどうぞ。
  
徳寿稲荷神社のご紹介
 
 永代2丁目に徳寿神社という小さなお稲荷さんがお祀りされております。
 この徳寿神社は、当時この地に高津家(鰹節のにんべん)の長屋があり、その掘割りに稲荷大神のご神像が流れ着き、長屋の人達によりお祀りされるようになったのが創祀と伝えられています。
 徳寿神社は、これまで永代2丁目町会の有志の方々に尊ばれ信仰され維持運営されて来ましたが、この度徳寿神社の土地の所有者である高津伊兵衛氏より、徳寿神社の境内地及び建物を当神社に奉納し、地域の人々のために貢献したいとの申し出がありました。
 それを受けて当宮では、徳寿神社を飛び地境内地として、護持し祭祀の永続性を確保する方向で、総代会の了承を得て、町会の方々とともに検討し、書類の申請、神社規則の一部変更などの過程を経て、この度当宮の飛び地境内末社として、神社本庁・東京都より承認されました。
 末社とは普通、主祭神がお祀りされている本殿の他に境内でお祀りされている神社のことをいいますが、今回の場合は神社の境内外の為、飛び地境内末社として特別なケースといえます。
 今後は当宮の末社として例祭を始め祭典を奉仕し、徳寿神社を地域の皆様の守り神として末永くお祀りして行くことになります。氏子の皆様のご理解、ご協力をどうぞよろしくお願いします。

例祭日 5月5日


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