命名物語

 
 意外と知られていないことですが、神主としてのご奉仕のひとつに「命名」があります。その名の通り新しく命を授かったお子さまにお名前をつけてさしあげるのです。お子さまの一生にもかかわることですからその責任は重大ですが、なんといっても喜びの大きい仕事といえます。

 少し前のことになりますが、ご自身の息子さんに初めてのお子さまが授かったという女性が命名の依頼でお越しになりました。お話を伺いますと、当神社が代々ご家族の皆さんの命名に携わってきたとのこと、それを大変気に入られ、誇りに感じていただけているお気持ちが伝わってまいりました。神社に奉仕する者として俄然張り切らざるを得なかった心情はご理解いただけるものと思います。

 命名につきましては、特別なご希望がない限り、まず字画の良さ、そして良い意味を持つ字であることを優先いたします。次ぎに生まれた年と音が調和するかを吟味し、最後に全体のバランスを見ることになります。これが全てうまくかみ合うまで何度でもやり直すわけですが、時には丸2日以上かかることもあります。生涯お付き合いいただく名前ですので、適当にというわけにはまいりません。どんなに字画の画数が良く、音がよく、見た目がよくても、意味のよくない漢字は決して使いません。不思議なもので、古来名前に多く使われている漢字は、良い意味、良い画数を持つものが多く、一見古臭いように見えても、組み合わせによって実に新しい、美しい響きを持つものに生まれ変わるのです。

 もっともこの女性のお孫さんの場合、少々難しいご希望もありましたので、全体との調和に配慮するため多少時間がかかってしまいました。お名前をお持ち帰りいただきました後、今度は息子さんの方からお電話をいただいたのですが、名前の持つ意味、何故その漢字が使われているか、字画などにつきましてご説明いたしますと、大変喜んでくださいました。

 それから1ヶ月ほどたったある日、その御家族が皆さんでお宮参りにいらしたとの連絡を受けました。ご奉仕の最中でしたので、残念ながらお子さまにお会いすることは叶わなかったのですが、命名に携わりましたお子さまがお宮参りにきてくださるというのは嬉しいものです。
 その折、若いお父様が、自分の名前も富岡八幡宮でいただいたものだが、名前を書くと感心され、由来を聞かれるので、両親が聞いているはずだが、もう一度教えていただけないだろうかとお尋ね下さいました。

 あいにく、当時在職していた神職が、殆んど残っておりませんでしたので、字画や意味についてはご説明できましたが、何故その読みを採ったのかについては正確なご返事ができませんでした。しかし、その時の神職が、自分の命名したお子さんの立派に成長した姿を見、自分の子供の命名を通じて、自分につけられた名前の由来を知りたいといらした姿を見たなら、どんなにか感激しただろうと思うと胸が熱くなるのを禁じ得ませんでした。

 漢字がそうであるように、神社でのご奉仕には、とても古くて、その由来すら明らかでないものがあります。それでも心をこめてそのひとつひとつに携わってまいりますと、新しい輝きが生まれ、美しい感動を呼び起こしてくれることがあります。今回名づけにかかわらせていただいたお嬢様が何時の日かそのお子さんを神社にお連れになり、自分の名前の由来を尋ねてくださる日が来るだろうか....。

 その日の境内は穏やかで、青空に向かって健やかに伸びた公孫樹の枝が微かに揺れ、そのお子さまの未来をお祈りしているようでした。どうぞお幸せに。
 先達の神職の方が心をこめて種蒔いた稔りに触れる喜びを、私がいただいた一時でした。

 

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