〜 信仰を訪ねて 〜

巨大門番 鹿島様

2000km以上にわたって細長く伸びる日本列島では、地方ごとの特色に溢れた風俗が育まれ、様々な祈りの形が伝えられて来ました。その祈りの対象は、ごく小さなものから見上げるほど大きなものまで、千差万別。今回はその大きさに思わず目を奪われる巨大な神様、鹿島様をご紹介します。

 春から初夏にかけて季節を映す風景、皆さんはどんな景色に思い至るでしょう?瑞々しく輝く稲田の様子を思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 稲作が大変重要な位置を占めている日本、特に北日本では、稲の文化が信仰にも強く反映されています。その一つ、鹿島様を皆さんはご存知でしょうか?
 
●身長4メートル!
 鹿島様は秋田県を中心とした東北地方で信仰されている神様で、特に有名なものは秋田県南の湯沢市に祀られています。その高さは実に4メートル!藁で作られた巨大な姿で人間を見下ろします。
 現在は町の高台や道路脇などにも鎮座している鹿島様ですが、元々は各村の入口に祀られ、道祖神としての役割を果たしていたと考えられています。道祖神とは、辻や集落の入口に立つ守り神。村にあらゆる悪しきモノが入ってこないよう目を光らせる、言わば門番です。と同時に、五穀豊穣・子孫繁栄の守護神でもあります。鹿島様も同様の役割を担いますが、稲の収穫後に藁で組まれる鹿島様は、特に五穀豊穣のご利益を期待されたようです。

●鹿島様=タケミカヅチノカミ?
 ところで、「鹿島」と聞くと茨城県鹿嶋市を連想される方も多いはず。ご存知、鹿島神宮が鎮座しているのもこの地です。
 それでは鹿島様の名称はここから来たのかと言えば、はっきりしたことはわかっていないのです。
「鹿島様=鹿島神宮の主神武甕槌大神」という見方が多くある一方、秋田県内に鹿島神社が極めて少ないことに不自然を感じる学者もいます。また秋田藩主であった佐竹氏が元々常陸の国、つまり茨城県を治めていたことに拠るとも言われますが、様々な点でその説も整合性に欠けるとのこと。
 ちなみに、「鹿島人形」というより小さい藁人形に人々の災厄を請け負わせ、川に流すという「鹿島流し」という行事が、同じく秋田県を中心とした東北地方に存在します。けれどやはり鹿島神宮との繋がりは不明であり、また鹿島様との関係も謎に包まれています。
 鹿島様の名の由来が判明するまでは、まだまだ時間がかかりそうです。

●海を越えた稲藁人形
 さて前述した道祖神ですが、その多くはお地蔵様のように子どもの背丈ほどの高さの石造り。路傍で見かけたことがある方もいらっしゃるでしょうが、鹿島様のように巨大でしかも藁作りの手の込んだものは、大変珍しいといえるでしょう。
 更にこの鹿島様、定期的に作り直しがされます。これを「鹿島祭り」と称し、秋田県湯沢市では春秋の年二回行われるそうです。伝承してきた技術をもとに地元の方々が半日かけて藁を編み、化粧直しを行い、そうして豊穣と安寧を祈るこのお祭。まさに長く培われた日本の稲作文化の結晶と言えるでしょう。
 そのため高い民俗的価値が認められており、千葉県の国立歴史民俗博物館での収蔵にとどまらず、アメリカのスミソニアン博物館に招待された経験もあるのです。
 日本が世界に誇れる文化も、稲の力への篤い信仰を育み続け、精緻な技術を受継いできた地元の人々の尽力があってこそ。時代風潮の変化により困難も多いことでしょうが、こういった各地の伝統が今後も継承されることを願ってやみません。