◎愛宕山◎ |
愛宕神社は、全国に約900社ある愛宕神社の総本社で、古くから火防せの神様として広く知られています。 山城・丹波両国の国境、標高924メートルの愛宕山に鎮座し、山頂からは京都市街地をはじめ、比叡山や比良山系等が眺められるすばらしい見晴らしです。 戦前には参拝路線としてケーブルカーが延びており、旅館等諸施設まで設けられて遊興地としても栄えましたが、戦中に撤去され、戦後は徒歩での登山が唯一の方法となっています。 徒歩で約2時間の参道には神気が漂い、京都市最高峰の霊山として多くの参拝者を引きつけます。 |
◎創祀◎ |
『愛宕山神道縁起』等によれば、愛宕神社は大宝年間(701〜704)に修験道の祖とされる役行者と白山の開祖である泰澄が朝廷の許しを得て愛宕山に神廟を建立したのがはじまりと伝えられます。修験道とは聖なる山中で修行することによって超自然的な能力を獲得し、その力で民衆を救おうとするもので、神々が宿る山中で仏教による修行が盛んにおこなわれました。当時、神道と仏教を同一視する神仏習合思想が広まっており、仏教による山岳修行は習合をさらに進める要因ともなりました。 その後、天応元年(781)に慶俊僧都が現在地に遷座し、和気清麻呂によって白雲寺が建立されます。白雲寺のご祭神は愛宕権現太郎坊と称する天狗とされ、さらに愛宕権現の本来の姿とされる勝軍地蔵も祀られました。勝軍地蔵は武門守護の仏とされ、戦国武将から厚い信仰を受けました。明智光秀が本能寺の変の数日前に訪れたことはよく知られています。 白雲寺は修験道の道場として江戸末期まで存在しましたが、明治の神仏分離令によって廃絶、以後愛宕神社となって現在に至っています。現在は伊弉冉尊など五柱をお祀りしています。 |
◎火廼要慎◎ |
愛宕神社は江戸時代の頃より火防せに霊験のある神社として知られるようになり、「伊勢に七度、熊野に三度、愛宕さんには月参り」ともうたわれて、多くの信仰を集めました。 特に7月31日夜から8月1日早朝にかけて参拝すると千日分の火伏・防火の御利益があるとされる千日通夜祭では、現在でも毎年数万人の参拝者で境内参道が埋め尽くされます。 当日、境内では修験者による護摩供養、また深夜には鎮火神事がおこなわれ、参拝者は火除けの神札と樒の枝を求めます。標高が高く榊が育ちにくい愛宕山では樒をお供えしており、昔は家庭で朝一番に火を焚く際、月参りで受けてきた樒の葉を一枚火の中に入れて防火と家内安全を祈る風習がありました。 また火除けの札には「火廼要慎」と記されており、京都では大抵の台所に貼られていて、観光の際、飲食店にて見かけることもしばしばです。 |