〜 信仰を訪ねて 〜 |
青ヶ島の巫女は神様とともに舞う |
2000km以上にわたって細長く伸びる日本列島では、地方ごとの特色に溢れた風俗が育まれ、様々な祈りの形が伝えられて来ました。神と人とが一体となって舞い、踊る。それが伊豆諸島南端の孤島、青ヶ島に息づく祈りの姿です。 |
|
青ヶ島。今回の舞台は、伊豆諸島のうち人が住む島としては最も南に位置する離れ小島です。東京都に属するものの、東京からの距離は実に三六〇キロ。最も近い八丈島からも六八キロ離れていると言う、まさに「絶海の孤島」です。 周囲九キロの島の人口は、約二百名。「日本一人口の少ない地方自治体」であり、ヘリコプターの空路が開設されるまでは船で往来することも容易でなかった、外界と隔てられた世界です。けれどその隔たりがあったからこそ今に伝えられた、伊豆諸島固有の信仰。では八丈島などでは既に失われたその信仰とは、一体どのようなものなのでしょうか。 ●青ヶ島の巫女 青ヶ島では旧暦に基づいて、年間を通じ多くの祭礼が行われます。そこで活躍するのが、神主・卜部(ウラベ)・社人(シャニン)・巫女(ミコ)で構成される独特の祭祀組織です。 中でも注目すべきなのが、社人と巫女でしょう。社人は男性、巫女は女性が務めますが、ともに誰でもなれるというわけではありません。ミコケ(巫女気)と呼ばれる霊的素質を備えていることが大前提。ミコケは先天的、あるいは後天的に備わると考えられており、親子や姉妹だからといって遺伝するものではありません。 さて、ミコケを持つ人間が神様により巫女(社人)の候補に選ばれると、軽い心的異常を来たします。つまりこれが、神様からのメッセージ。そうして「ダンシン(乱心)」と呼ばれるこの症状を取り除くため、巫女になるための通過儀礼「カミソウゼ(神奏ぜ)」を受けるのです。 ●カミソウゼ カミソウゼは「神を憑ける」儀式と言われますが、その様子からはむしろ「神を送る」儀式と考えられます。すなわち、ミコケのある人の体を何人もの巫女が扇子などで激しく打つことで、憑いた神様を引き剥がし、送り出すのです。 ここで活躍するのが、卜部。卜部は神様が出て行ったことを判断すると、その神様を「オボシナ様」としてミバコ(御箱)に納め、祀ります。オボシナ様とは「ウブスナ(産土)様」の義。いわば守護神として、新しく誕生した巫女に以後託宣や予言など様々に力を貸し、守ってくれるのです。 ●神様のステップ ところで、オボシナ様の種類は実に多種多様。新神や天野早耳者様といった青ヶ島固有の神様もいれば、私たちに馴染みの深い神社神道の神様、さらに仏教の仏様もいます。しかもオボシナ様は一柱とは限りません、場合によっては七柱にも! となると、どの神様が新しい巫女(社人)のオボシナ様となったか判じる必要があるわけですが、その役目も卜部が担います。そしてその判じる場が、祭礼における祭文の奏上です。 神前での祓詞や般若心経の奏上の後、太鼓を叩きながら「青ヶ島祭文」という独自の祭文を読み上げる卜部。それに合わせて舞い踊る巫女あるいは社人。その動きは一律でなく、巫女により個々別々。なぜなら巫女に踊り方を教えるのは、他ならぬオボシナ様だからです。 「神様がとりでに教えてけろおわ」 神様がひとりでに、自然と教えてくれますよー 巫女のこの言葉は、踊り方だけにとどまりません。 日々のすべてのこと。頭で考えるのではなく、神様の声に耳を傾ける。神様とともにしなやかに舞う青ヶ島の巫女の姿には、現代社会に生きる私たちが見直すべき生き方のヒントが隠されているのかもしれません。 |