◎国生み◎ |
伊弉諾神宮の御祭神は、伊弉諾大神・伊弉冉大神の夫婦神で、この二神は日本の国土と多くの神々をお生みになられたことで知られています。
『古事記』によれば、その昔国土は境界も定まらず水に浮かぶ脂のような状態でした。そこで天上にある高天原の神々は合議により国土の固定整備を伊弉諾・伊弉冉大神の二神に任されました。二神は天と地をつなぐ天浮橋に立って天の沼矛という立派な矛で海水をかき回し、その矛を引き上げたときに滴り落ちた海水でおのごろ嶋を完成させました。そして二神はその島に降り立って結婚のために聖なる太柱を建て、その柱を回って出会った所で交わることにしました。その時生まれたのが水蛭子と淡島ですが、これらの子は育ちませんでした。これは女神が先に声をかけて交わったからだとして、今度は最初に男神の伊弉諾大神が「ああいい女だ」と声をかけ、次に女神の伊弉冉大神が「まあ素敵な男ね」といって交わりました。こうして生まれた最初の子が淡路島で、次に四国、隠岐三島、九州、壱岐、対馬、佐渡、そして最後に本州が生まれました。さらに二神は山川などの自然や住居、穀物に関する神々を次々と生み出されました。その後、妻の伊弉冉大神は火の神である迦具土神を生んだ時に火傷で命を絶たれ、黄泉の国に旅立たれますが、夫の伊弉諾大神は皇室の祖先神で高天原を統治する天照大御神、夜の国を統治する月読命、海原を統治する須佐之男命をお生みになり、これら御子神に国治めの大任を委ねられ、最初にお産みになった淡路島に帰られました。 |
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写真提供 伊弉諾神宮 |
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◎創祀◎ |
国生みの大業を果たされた伊弉諾大神は淡路島幽宮にご余生を過されますが、その隠棲地の神宅が御陵となり、そこに社殿を営んだのが伊弉諾神宮の創祀です。その後、平安時代に記された『延喜式』では名神大社、『三代実録』では「神格一品」また平安末期には淡路国の一宮(国内で第一の地位を占めた神社)、さらに明治十八年には官幣大社に列せられました。昭和二十九年に神宮号を宣下され伊弉諾神社から現在の伊弉諾神宮に改称されました。又、伊勢神宮とは同緯度に位置し、別称日之少宮としても全国から厚く崇敬され、特に夫婦和合・縁結び・子授け等の神様として有名です。 |
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◎淡路島◎ |
伊弉諾神宮の鎮座する淡路島は瀬戸内海東部に位置する、南北四十キロ、東西二十キロに伸びる島で、その面積は約六百平方キロ、これは東京二十三区とほぼ同じ大きさです。国生み神話の故郷であるこの島の見どころをいくつか紹介しましょう。
海峡
淡路島は瀬戸内にあって明石・紀淡・鳴門の三海峡と大阪湾・播磨灘・太平洋に囲まれています。本州・四国との連絡は明石海峡大橋・大鳴門橋が架けられ、特に明石海峡大橋は潮流が激しく水深が深い明石海峡に橋梁技術の粋を結集して平成十年に完成した全長約四キロという世界最長の吊橋として知られています。
また鳴門海峡では、瀬戸内海と太平洋側の潮位の差によっておこる天然記念物「鳴門の渦潮」が見どころです。
国営明石海峡公園
淡路島と神戸市にまたがる国営公園です。特に淡路島エリアでは海辺の園遊空間をテーマに、明石海峡、大阪湾を一望できる展望の場と淡路島の自然・歴史・文化を体験できる淡路夢舞台などが整えられています。
北淡震災記念公園
平成七年の阪神淡路大震災で現れた国指定天然記念物「野島断層」を保存展示する記念館です。淡路島北西部の海岸沿いに現れた延長十キロに及ぶ断層で、断層崖や断層による生垣、畑のあぜ道の食い違い等をみることができます。また被害者による体験談を聞くことも可能で、震災で培われた防災意識を後世に伝える役割を果たしています。 |
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