天下無双の名力士と言われ、その強さが今でも語り継がれる雷電為右衛門。
なにしろ、最高位大関ながら21年間の土俵生活で総取組285、内254勝10敗(他は引き分け、預かり等)勝率9割6分2厘という抜群の成績、その体躯も見事なもので六尺五寸(197cm)四十五貫(169kg)という恵まれた巨体から繰り出される無双の怪力で相手力士をなぎ倒していました。
時代的にはちょうど、四代横綱谷風梶之助と五代小野川喜三郎の時代、谷風の内弟子で谷風の急逝により小野川の好敵手として活躍したことになります。
後に講談や小説、映画にまでなった雷電為右衛門の逸話は数多く、
・少年時代狭い道で大名行列を通す為に荷馬を担ぎ上げた。
・あまりに強く土俵で対戦相手を殺した為、「鉄砲」「張り手」「閂」「鯖折り」が禁じ手となった。
・長野県の寺に雷電が江戸から袂に隠して持ってきたという「袂鐘」がある。
など様々です。
何しろ生涯で10敗しかしていないのですから、雷電に勝った力士はそれだけで歴史に名を残しました。
中でも生涯最高の大番狂わせといわれるのが寛政12年、幕下の鯱に敗れた一番で、
負けてこそ
人にこそあれ相撲取
と俳人安井大江丸に詠まれました。負けが後世に伝わるほど雷電が強かったことが解ります。
ではそれ程の成績を納めながらもなぜ横綱になれなかったのか?
兄弟子である谷風に遠慮したからだとか、抱えの松江藩と相撲の家元と関わり深い細川藩との確執があった等言われますがその真相は謎のままです。
しかしその実績は横綱に匹敵するの評価で当宮の横綱力士碑に「無類力士」として特別に名が刻まれ顕彰されているのです。 |