◎ 稚日女尊 ◎

 港町神戸の中心地、三宮の繁華街に鎮座するのが生田神社です。「神戸」という地名はこの地が生田神社の社領である「神戸(かんべ)」であったことに由来しています。
 御祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)で、稚く瑞々しい日の女神を意味し、天照大御神の御幼名と伝えられています。
 天照大御神は、天を照らす太陽を象徴して、全ての自然に命の源を与える最も尊い神様とされています。皆さんがご家庭でおまつりしている神棚にも先ずは伊勢神宮(三重県)の天照大御神のお札をお祭りすることが古くからの習わしです。それは天照大御神が太陽神であると同時に皇室の祖先神であり、さらには日本国民全体の大御祖(おおみおや)(ご先祖様)にあたるからです。現在、伊勢神宮では20年に一度、御社殿や神宝をはじめ一切を一新する式年遷宮を平成25年に控え、準備を進めているところです。

 
◎ 創祀 ◎
 生田神社の創祀は四世紀とされています。『日本書紀』によれば神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮半島に遠征された際、生田の神は廣田・住吉・長田の神々とともに神功皇后をお護りになられ、その後「活田長峡国(いくたのながおのくに)に居らまく欲す」というお告げを出されました。このお告げに従って神功皇后が海上五狭茅(うなかみのいさち)に祀らせたのが生田神社です。このとき廣田・長田の神々も同様に祀られ、廣田神社(西宮市)・長田神社(神戸市)として信仰を集めています。
 現在生田神社では、戦前の水害・空襲、また平成7年の阪神淡路大震災など幾度にも渡る災害被害から復興したことにちなんで「よみがえる神」として特に厄除・除災招福を祈る多くの参拝者を迎え、また勝利勝運の神様としてプロ野球・Jリーグをはじめ多くのスポーツ選手から厚い崇敬を受けています。
 
◎ 生田の森 ◎
 生田神社の境内北側には鎮守の森が広がっており「生田の森」として親しまれています。平安時代の『枕草子』に「森は大あらきの森、信太の森、生田の森」と紹介されているのをはじめ様々な書物に記されており、現在は小規模になっていますが歴史的に由緒のある森です。特に源平合戦の戦場になったことは有名で寿永三年(1184)2月には平知盛を大将とする平家軍が生田の森に陣を構え、一の谷から生田の森へかけて一帯が戦場となりました。このとき源義経が山と海に囲まれた一の谷に陣取る平家軍に奇襲をかけたことは一の谷の逆落としとしてよく知られています。
 境内にはいまでも源平合戦に因んだ遺跡がいくつかありますので次に紹介しましょう。
箙の梅
 一の谷の合戦で、源氏方の梶原源太景季は梅の一枝を折り、それを箙(えびら)(矢を入れて携帯する容器)に挿して挺身奮戦しました。境内にはこの梅の木として伝えられている一株の老木が現存し、箙の梅として親しまれています。
梶原の井
 梶原景時が生田の神に勝利を祈願して水を汲んだ井戸で、息子景季が箙の梅の花影を水面に映したことでも知られています。
敦盛の萩
 一の谷の合戦で熊谷直実に討たれた平敦盛が愛でたとされる萩。能の『生田敦盛』では敦盛の死後にその遺子がたまたまこの萩の木陰に休み、夢で亡父敦盛に出合ったとされます。