第14回 古都京都の文化財(その三)
 
 前回ご紹介した北山の金閣寺からさらに西へ行くと、古くから風光明媚の地として知られる洛西、嵯峨野・嵐山へ出ます。

 嵯峨野の入口にあたる御室。ここにあるのが皇室ゆかりの仁和寺(にんなじ)です。真言宗仁和寺派の総本山で、住職に相当する職を代々皇子・皇族が務められた門跡寺院の筆頭でした。また、富岡八幡宮とも所縁が深く、当宮を建立した長盛法印は仁和寺の僧侶でした。このご縁から仁和寺宮が当宮をご参拝になったこともあります。

  永代のさかえひさしきこの島の
    めぐみたえせぬ神かきのうち

 仁和寺宮が八幡宮ご参拝の折に詠まれた御歌です。

 天龍寺(てんりゅうじ)は夢窓国師を開山とする臨済宗の大本山です。鎌倉時代に伝来した禅の教えは武士の間に浸透し、鎌倉・室町両幕府も手厚い保護を与えました。天龍寺は京都五山と呼ばれる禅刹のうち、最上位に置かれています。仏殿、僧堂など、軒を連ねる臨済様式の建築は質実剛健、堂々として圧倒されるばかりです。平成の今日でも天龍寺には全国からたくさんの僧侶が集い、厳しい修業に身を置いています。拝観の際は、日課の妨げとならないことを心掛けましょう。

 石庭で名高い龍安寺(りょうあんじ)も臨済宗の寺院です。ここの「虎の子渡し」と呼ばれる石庭は、それまで花や樹木を植え込んだり、借景を用いたりするのが主流だった庭の中に、自然物を廃した枯山水という新しい表現を導入したものです。白い玉砂利の中に置かれた黒い大小の石が虎の親子を思わせるのですが、見る者の想像によって様々な世界が広がります。作庭は天龍寺開山である夢窓国師。国師は名僧であると同時に名作庭師でもありました。

 嵯峨野の奥まったところに建つ西芳寺(さいほうじ)は、その庭園の苔の見事なところから「苔寺」と愛称される臨済宗の寺院です。聖武天皇の勅願により高僧行基が創建した西方寺が前身で、暦応二年(1339)に夢窓国師が再興、改称しました。枯山水の石組みを埋め尽くすように、庭一面に苔が広がるさまは、まるでやわらかな緑色の絨毯のようです。観光客で賑わう嵯峨野の中でも、この庭園には静かな時間が流れています。

 さて、金閣寺一帯から裏手にかけては北山と呼ばれ、川端康成の小説『古都』の重要な舞台となっています。北山杉の木立を望むこの地域からは、高山寺が世界遺産に名を連ねています。創建は宝亀五年(774)で、奈良時代最後の天皇、光仁天皇の勅願によります。その後、鎌倉時代の高僧明恵(みょうえ)が再興し、真言道場として隆盛を極めました。深山の趣もさることながら、当寺で最も知られているのは『鳥獣戯画』でしょう。カエルやウサギ、猿などを擬人化したこのユーモラスな絵巻には、誰もが笑いを誘われます。


次回は京都編の最終回、洛南と近郊の寺院、そして二条城を紹介します。
 
 

「世界遺産」とは、1972年の国連教育科学文化機構(ユネスコ)総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(通称:世界遺産条約)に基づき、遺跡・景観・自然など、人類が共有すべき普遍的な価値を持つと認められたもののこと。世界各地に、現在700件を超える物件が登録されています。