〜 信仰を訪ねて 〜

「神の月」
神無月(かんなづき)と神在月(かみありづき)

 10月の和名は皆さんご承知の通り、神無月(かんなづき)です。ではこの神無月という名前の由来は、ご存知ですか?「出雲大社に神様が集まる月で、他の場所には神様がいなくなるから『神様の無い月』」― そんな説明をお聞きの方もいらっしゃるかもしれませんね。
 確かに現在一般には、神無月の名の由来にはそうした説明がなされます。中心となる出雲大社でもそのように説明をされていますし、実際10月は出雲地方では「神在月(かみありづき)」といわれ、神様のお迎えや御滞在中のお世話、そしてお見送りと、祭典が目白押しです。

でもなぜ出雲大社なんでしょう?なぜ10月なんでしょう? 
 今回はこの、「神無月の謎」に迫ります。

  

●神の月

「かんなづき」という名前の使用は実はかなり古く、八世紀頃に編纂された日本最古の歌集『万葉集』にもみえます。ただしその頃の表記は「神な月」。この「な」は現代語で「〜の」という意味であると解釈されており、すなわち「神の月」という意味になります。
 実は「無」というのは後世考え出された当て字であり、本来10月は「神の月」であるというのが、現在の主説です。


●神様が旅立つ

 他でもない10月が「神の月」とされた理由。これは現代でも行われている、伊勢神宮の10月の神嘗祭(かんなめさい)、また諸神社の11月の新嘗祭(にいなめさい)にヒントがあります。つまりそもそも10月は収穫祭を行う月であり、稲作文化の日本では一年の中でも非常に重要視された時期であったわけです。
 さらにこのコーナーでも何度か取り上げたように、日本人は永く、「神様は農事の始めに来て、終わりに去る」という神観念を持っていました。春、いずこからやって来た神様は、豊かな実りを恵んだ後、秋、またいずこかへと去っていく。
 本来10月は収穫祭を営む「神の月」であると同時に、「神様が旅立つ月」でもあったのです。

●出雲に集う

 さて、変化が起きたのは中世。平安時代の書物には既に、「神無月には諸国の神様が出雲に集まる」という記載があります。神様が旅立つのは出雲へ集まるため、と限定されたのです。
 神様の集合地が出雲と定まったのは何故か。どうやら出雲大社の御祭神大国主命(おおくにぬしのみこと)が神話の中で、「目に見えない世界の統治」を任されたことが最大の理由のようです。
 すなわち、目に見えない人間の縁や運命を司るのが大国主命であり、そのお膝元で会議をするために全国から神様が集まる、というわけです。こうした信仰はそもそも出雲独自のものとして発達したと考えられますが、やがて他所の神な月信仰と結びつき、融合し、神様はひと月出雲に滞在するという神無月・神在月の信仰が生まれ、全国に浸透したのでしょう。

 稔りの秋は神の月。食の恵みを、心あらたに謙虚に、感謝をもって授かる。現代に生きる私たちこそ、「神な月」の心を大切にしたいものですね。