かつて石上神宮は本殿をもたず、拝殿の背後にある聖域(禁足地)を「御本地」と称して、その中央に主祭神が埋斎されていました。その後、明治七年に教部省の許可を得た発掘で、御神体が出御され、大正二年に御本地のなかに現在の本殿が造営されました。御本地では御神体のほかにも多くの出土品が発掘され重要文化財に指定されています。また境内の神庫にも様々な伝世品が伝えられていますが、なかでも有名なのが「七支刀」です。七支刀は刀身の両側に互い違いに三本ずつ剣の枝がはえている長さ七十四センチの鉄剣で、表裏に刻まれている銘文によれば、泰和四年(三六九)に百済(現在の朝鮮)が倭王(現在の日本)のためにつくったと記されています。これは『日本書紀』神功皇后四十九年条(三七二)にある百済より献上された七枝刀と考えられ、『日本書紀』の信憑性を考える上でも貴重な宝物となっています。 |