◎宗像三女神◎ |
厳島神社の御祭神は、市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の三柱で、いわゆる「宗像の三女神」として、海上の安全を守る海の女神として信仰されています。宗像の三女神は天照大御神の息からお生まれになった神々で、福岡県の宗像大社に初めておまつりされました。
厳島神社は推古天皇元年(593)、のちに神職を務める佐伯家の祖・佐伯鞍職が社殿を建立してお祀りしたのが始まりで、宗像大社が鎮座する玄海灘と同様に、海上交通の要衝の地であった当地の人々から厚い信仰を受けました。また市杵島姫命は神仏習合の思想から弁財天と同一と考えられたため厳島神社は滋賀県竹生島・神奈川県江ノ島とともに日本三弁財天の一つに数えられ芸能の神様としても広く知られています。 |
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◎清盛の厳島信仰◎ |
厳島神社は歴代の武将からも厚い信仰を受けており、戦国時代にはこの土地を治めた毛利元就が現在のご社殿を造営しています。しかし中でも殊に熱烈な信仰を見せたのは平清盛です。
安芸守に就任した清盛は「厳島神社を修造すれば必ず位階を極めるであろう」という空海の夢告を深く信じ、一門を率いて度々参拝。豪華な装飾を施した平家納経の奉納や、神殿造りのご社殿の造営などを行いました。
現在の海に浮かぶ壮麗な社殿の形式は清盛の美意識による発想です。また厳島は海上貿易で利益をあげた清盛にとって重要な拠点ともなりました。やがて清盛は武士としてはじめて太政大臣となり、その他一門も朝廷の要職に就任。さらに娘・徳子が高倉天皇の中宮として入内し、安徳天皇をお産みになって、平家一門はここに栄華を極めます。しかしその栄華も清盛の死後衰退、平氏は壇ノ浦に滅びますが、一門の誇りは厳島の神々によって現在でも護り伝えられています。 |
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◎管絃祭◎ |
厳島神社には古くから多くの神事が伝えられていますが、なかでも管絃祭は平安絵巻を最も華やかに伝える海の祭典です。これは平清盛が神様をお慰めするために京で流行していた管絃の遊びを宮島に移したもので、三隻の船を組み合わせた管絃船(御座船)に宗像の三女神をお遷しになり、対岸の地御前神社をめざして漕ぎ出します。日時は潮の干満を考慮して旧暦の6月17日に行われ、夜空に満月が輝くなか荘厳な管絃の音を響きかせます。平安時代さながらの優雅で幻想的な舞台が瀬戸内に展開します。 |