鵜戸神宮の創祀は第十代崇神天皇の御世と伝えられています。その後延暦元年(782)に天台宗の僧・光喜坊快久が勅命により社殿を整備し寺院を建立、「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺(うどさんだいごんげんあひらさんにんのうごこくじ)」の勅額を賜りました。当時は神道と仏教が結びついた神仏習合という思想が一般的で、神社で読経を行ったり、寺院の僧侶が神社を管理するようなことが一般的におこなわれていました。鵜戸神宮も神仏習合の神社で、のちに真言宗に改宗し「西の高野」と讃えられて盛観を極めました。
明治の神仏分離によって仏教色が廃されて鵜戸神社となり、その後、官幣大社鵜戸神宮に昇格されました。現在でも日本民族の祖神誕生の聖地として多くの参拝者で賑っています。 |