今年の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」をご覧になって、安土桃山から江戸初期の時代に興味を持った方も多いと思いますが、この深川にも同時代に活躍した人の旧跡が沢山あります。今回は深川の雲光院に墓地があり、「江」とも大変に係わりの深い、阿茶局を紹介します。

 阿茶局は弘治元年(1555)武田氏家臣・飯田氏の子として、甲府で生まれました。名は須和。今川氏家臣・神尾忠重に嫁ぎますが死別。その後、徳川家康の側室となりました。家康の信頼厚く、馬術や武術にも優れたため、戦場においても幾度となく供奉し、小牧・長久手の戦いの陣中では懐妊しますが残念ながら流産。以後子供には恵まれませんでした。

 才知にも長けたため奥向きの諸事一切を任され、また大坂冬の陣では和睦の使者としても活躍しました。二代将軍秀忠の母・西郷局亡き後は、秀忠・忠吉(家康四男)の養育を任され、また家康が隠居する際には駿府まで付き随いました。家康亡き後も側室でただ一人落飾することを許されず、秀忠からも頼りにされました。秀忠と江の娘・和子(まさこ)(東福門院)が後水尾天皇に入内の折には、母代りとして供奉し、その功績により従一位に叙せられました。

 秀忠亡き後落飾、寛永14年(1637)京都にて逝去されたと伝えられています。金戒光明寺に葬られ、京都の上徳寺、江戸の雲光院が菩提寺となりました。
 雲光院は慶長16年(1611)自らの発願により開基した寺院です。創めは、中央区馬喰町付近にありましたが、明暦の大火により神田岩井町に替地となり、天和2年(1682)現在の深川の地に移りました。

 気候も良くなってまいりました。才色兼備の阿茶局の御利益参りはいかがでしょうか。