< 神社紹介 >

      いずも       おおやしろ
   出 雲 大  社    島根県簸川群大社町
 
◎だいこくさま◎
 出雲大社の御祭神は多くの神話に名を残す大国主神です。縁結びの神様として、また傷付いた兎を助けた因幡の白兎の伝説等でもお馴染みのことと思います。大国主神は、皇室の祖神である邇邇芸命がこの地上に降臨される以前から日本の国土開拓に励まれ、我が国の基礎を固められました。また農耕・漁業をすすめ、医薬の道をお広めになられる等、慈愛の心に満ちた神様としても知られています。やがて「大国」と「大黒」との類似から仏教の大黒天と同一視されるようになり、古くからだいこくさまとも慕われる神様です。
 
◎国譲り◎
 大国主神が開拓された国土は、豊葦原瑞穂国(すべてのものが豊かに実る国)と称されるようになりましたが、やがて大国主神は、その国土を天照大御神にお譲りになられました。それが国譲りです。天照大御神は豊葦原瑞穂国を自らの子孫が治めるべき国土とお考えになられました。それを受けて大国主神は、当初反抗の意を見せたものの、日本の大御祖である天照大御神の子孫が治められるのは当然という考えに至り国を譲られました。
 出雲大社はこの国譲りをお喜びになられた天照大御神が大国主神のために築かれたお社で、祭祀には自らの第二子天穂日命を当たらせました。天穂日命の子孫は「出雲国造」と称して代々奉仕にあたり、現在は第八十四代出雲国造千家尊祐宮司が祭祀を承継しています。

◎神在月◎
 十月は暦の上で神無月と呼ばれる月ですが、これは全国の神々が出雲の国に集合され、神々が留守になられるからです。反対に出雲ではこの月を神在月と称し、旧暦十月十日(新暦の十一月)に稲佐の浜で神迎神事を行い千人以上の人々が見守るなか全国の神々をお迎えします。お集まりになった神々は会議をおこない、そこで人々のさまざまな縁が決定されるといわれています。大国主神は人々の霊魂をはじめとする目に見えない幽れたる事を任された神様で、人々の縁も目に見えない幽事の一つにあたります。このように人生におけるあらゆる繋がりは大国主神をはじめとする神々のお導きによってむすばれたご神縁といえましょう。
 
◎雲 太◎
 [雲太・和二・京三]。これは平安時代の書『口遊』に記されているもので、出雲大社が当時の建築では最も高く、次いで東大寺大仏殿、三番目に京都の大極殿が当たることを意味しています。江戸時代に造営された現在の御本殿の高さは八丈(二十四メートル)ですが、平安時代には高さ十五丈(四十五メートル)の東大寺大仏殿よりも高かったというのです。社伝にも古くは十六丈(四十八メートル)、更に古くは三十二丈(九十六メートル)あったと伝えています。建築学的に三十二丈は不可能とされるものの、十六丈についても今まで否定的でした。しかし平成十二年、境内より三本の巨大な御柱が発掘され、当時の棟持柱であることが判明、十六丈の社殿の存在が現実味を帯びてきました。雲に分け入ると歌われ、天下無双の大廈と称えられた古代出雲の社殿の姿がいま甦ろうとしています。