松尾芭蕉は延宝八年(一六八〇)弟子の杉山杉風が所有する、万年橋近くの草庵に移り住みました。(当初庵を「泊船堂」と称す)翌年バショウ株を、門人から貰い受け植えたことから、「芭蕉庵」と呼ばれるようになりました。
 それ以後元禄七年(一六九四)五一歳で没するまで、この地を根拠地として全国の旅に出て、『奥の細道』など著名な紀行文や俳句を残しました。
芭蕉庵は天和二年(一六八二)の大火(八百屋お七の火事)により焼失しますが、翌年、門弟・知人らの寄付により、ほぼ同じ位置に建てられました。元禄二年(一六八九)みちのくへの旅路を前に手放しました。江戸へ戻った後、元禄五年(一六九二)杉風らの出資により旧庵近くに新築されました。
 芭蕉没後、武家屋敷地に取り込まれ屋敷内に旧蹟として保存されていましたが、幕末から明治にかけて消失しました。

 皆さんがよく知っている「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は芭蕉庵に住んでいる時に作られ、発表してからは、芭蕉のもとに蛙の置物が送られるようになり、芭蕉もそれらを愛好していたと伝えられており、没後も庵に置かれ、庵と共に消えてしまいました。大正六年(一九一七)台風の高潮が襲った後『芭蕉遺愛の石の蛙』(伝)が発見されたため、この場所を芭蕉庵跡とし、石蛙を祀り芭蕉稲荷としました。現在、この石蛙は近隣の芭蕉記念館にて保存・展示されています。
 深川には、芭蕉に関する旧跡が沢山あります。秋空の下、これらを巡ってみては如何でしょうか。