< 神社紹介 >

     う     さ    じん   ぐう
   宇 佐 神 宮    大分県宇佐市
 
◎八幡さま◎
 全国各地に四万社余りあるといわれる八幡宮の総本宮が宇佐神宮です。御祭神は八幡大神、三柱の比売大神、神功皇后の五柱で、八幡造の三つの社殿にそれぞれお祀りされています。鎌倉時代にまとめられた『八幡宇佐宮御託宣集』によれば、八幡大神とは第十五代応神天皇の御霊を神様としてお祀りする際のお名前で、欽明天皇三十二年(五七一)に三歳の童子のお姿で現れ「われは誉田天皇(応神天皇)、広幡八幡麿なり」とお告げを下されたと伝えています。童子は黄金の鷹となり、とまった地に和銅元年(七〇八)鷹居社が祀られ、その後、小山田社を経て、神亀二年(七二五)現在地に遷座されたのが宇佐神宮です。したがって八幡大神とは、すなわち応神天皇にあたり、文化・産業・武門等多くの御神徳を備えた神様として八幡さまと慕われお祀りされています。
 
◎八幡大菩薩◎
 現在では神社と寺院は明確に区分されていますが、それは明治の神仏分離令の結果によるもので、それまでは神道と仏教の思想が結びついた神仏習合という考え方が一般的でした。したがって神社で読経を行なったり、寺院の僧侶が神社を管理するようなことが、ごく一般的に行なわれていたのです。このような思想は奈良時代から徐々に形成されるようになったと考えられますが、その先駆けの一つとなったのが宇佐神宮です。平安時代に編纂された『延喜式』神名帳には「八幡大菩薩宇佐宮」と記され、菩薩号を授けられた八幡大神が既に定着しています。天平十年(七三八)には境内に弥勒寺が建立され、また東大寺大仏殿建立の際には、「全国の神々を率いて、我が身をなげ打ち協力する」とのお告げを下されて成功に導いています。宇佐の地には奈良時代より多くの仏教寺院が建立されていたと伝えられ、神仏習合誕生の背景には大陸文化の先進地域という環境があったものと考えられます。

◎放生会◎
 宇佐神宮では毎年十月、仲秋祭がおこなわれます。これは和間の浜から宮司以下神職が乗船して、巻貝の蜷を船上から放す神事で、養老三年(七一九)に八幡大神のご神威をもって南九州の隼人を鎮圧した後、その霊をなぐさめるために蜷を放したのが始まりです。これは放生会といって、生物を自然に放して徳を積むという、これも仏教儀礼の影響を受けたものです。
 なお隼人鎮圧の際、八幡大神が神輿に乗られたのが神輿の起源とされ、八幡大神は、東大寺大仏殿開眼式にあたっては遠く奈良へも神輿でお出ましになられました。
 
◎拡がる信仰◎
 東大寺大仏殿建立後、東大寺守護のため奈良に手向山八幡宮がお祀りされました。さらに貞観元年(八五九)には京都に石清水八幡宮が創建されます。
宇佐の一地方神であった八幡大神が国家守護の神として信仰されるようになったのです。八幡大神は、聖武天皇の御発願であった東大寺大仏殿建立に尽力し、また弓削の道鏡が皇位を狙った際は「天皇には必ず皇統に連なる人物が即位するように」とお告げを下して道鏡の野望を阻止するなど皇室のために大きな働きをなされました。これが国家の守護神として認められ、さらには天照大神に次ぐ宗廟神(皇祖神)として仰がれる由縁となったのです。また武家においても清和源氏の源頼信が石清水八幡宮を深く信仰して源氏の氏神としたため、以後、源氏の流れを組む足利、徳川に至るまで厚く信仰されることになります。さらに八幡大神は神仏習合の関係から阿弥陀仏と同一と考えられたため、極楽往生への救済者として民衆からも広く受け入れられて来ました。