『鹿島 神の池』   石井伯亭画伯奉納

 
 この絵画は、昭和32年に戦後御社殿復興を祝し、9名の著名な画伯が樹齢150年を超えると称せられる会津産の桐一枚板(200cm×140cm)にそれぞれ描き奉納されたものの一枚です。
 石井伯亭画伯は明治15年、日本画家石井鼎湖(ていこ)の長男として東京下谷に生まれ、父に日本画を、のち浅井忠(あさいちゅう)に洋画を学び、その平明な写実的画風は過渡期の日本洋画壇に影響を与えました。
 
神の池について

 神の池は常陸国風土記に「寒田の水が軽野の田をうるおす」と書かれているように地元の人々の貴重な水源であり、また鯉・鮒・鰻や蓴菜・あやめ・菖蒲などの豊かな自然の恵みをもたらす周囲8キロの円形の湖でした。
 しかし、鹿島臨海工業地帯の開発が始まると埋め立てが行われ、大部分が鹿島港南航路となり、七分の一に縮小されました。今ではその周辺が緑地公園となり人々の憩いの場となっています。

※神の池は寒田池とも呼ばれていました。