< 神社紹介 >

      か    しま    じん   ぐう
   鹿 島 神 宮    茨城県鹿嶋市
 
◎武甕槌大神◎
 鹿島神宮の御祭神、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)は日本国家成立の上で大きな役割をなされた神様です。その昔、日本国土は豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)(すべてのものが豊かに実る国)と称され大国主神によって開拓され治められていました。
 しかし天照大御神は豊葦原瑞穂国は自らの子孫が治めるべき国土とお考えになられました。そこで大国主神に対して国を譲るよう使者として遣わされたのが武甕槌大神と経津主大神(ふつぬしのおおかみ)です。
この時、武甕槌大神は十握剣(とつかのつるぎ)を突き立て、その剣先にあぐらをかいて国を譲るか否かと交渉をおこない、その結果大国主神は国を譲られました。
 また天照大御神の直系である神日本磐彦尊(かんやまといわれひこのみこと)が熊野にて病に罹られた際には神剣「?霊剣(ふつみのたまのつるぎ)」を差し上げ、その御神威によって尊を病から救われました。その後、神日本磐彦尊は大和国(奈良県)に入国、初代神武天皇として即位し、日本の建国を果たすのです。こうして神武天皇即位の年、武甕槌大神は国土平定の功績によって鹿島の地に祀られ、これが鹿島神宮の創祀となります。それ以後鹿島神宮は東国守護の神として、また神剣の御神威から武道の神として広く仰がれるようになりました。
 
◎祭頭祭◎
 毎年三月九日、あでやかな五色の襷をまとった集団が、祭頭囃子(さいとうばやし)に合わせて六尺の棒を互いに束ねたりほぐしたりして参道を練り歩く祭頭祭(さいとうさい)が行われます。非常に勇壮で躍動感あふれる神事です。この神事は元来、五穀豊穣と天下泰平を願う春祭がその本質ですが、近年では九州の守備兵である防人(さきもり)に任じられた東国の人々を偲んだお祭りという解釈も生まれています。当時、東国から九州への旅は命懸けであり、防人に任じられた東国の人々は先ず鹿島神宮に詣でて道中の平安と武運の長久を祈ったのです。これを「鹿島立ち」と称します。
奈良時代の歌集『万葉集』には

霰(あられ) 降り鹿島の神を祈りつつ皇御軍(すめらみくさ)に吾は来にしを
(巻二十、大舎人千文)

故郷を離れて皇軍に加わった防人の鹿島神に対する切実な祈りが伺えます。
 

◎御船祭◎
 鹿島神宮において最も大きなお祭りは十二年に一度、九月の例祭時におこなわれる御船祭(おふなまつり)です。当日、鹿島神宮から出御した神輿は北浦東岸の大船津(おおふなつ)の川岸で御座船に載せられ、約九十艘の供奉船を従えて鰐川(わにがわ)から利根川に入り千葉県香取市加藤洲へ向かいます。そして加藤洲において地元の香取神宮神職によって御迎祭が行われます。香取神宮にお祀りされている経津主大神は、武甕槌大神とともに大国主命と交渉して国譲りを実現し、日本国家成立の基礎を築かれた神様です。また平安時代の『延喜式』神名帳において神宮号を称しているのは伊勢神宮を除けば鹿島と香取のみであり、古くから皇室、国家の篤い崇敬を受けてきた二社でもあります。
 我が国の成立に大きな働きをなされたニ神の再会が果たされるのが御船祭です。