第5回 紀伊山地の霊場と参詣道
 
 和歌山・奈良・三重の三県にまたがる紀伊山地には熊野三山、吉野・大峰両山、高野山の三つの霊場とそれを結ぶ参詣道があり、全国から人々が訪れわが国の宗教・文化に大きな影響を与えました。
 今回は平成十六年に独特の信仰形態と景観が評価され世界遺産登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」を紹介いたします。
熊野三山 〜からみあう信仰〜
  熊野三山と通称される熊野速玉大社・熊野本宮大社・熊野那智大社の三社は、神仏双方に民俗信仰の混ざり合った独特の「熊野信仰」を育んできました。平安時代末期には「この世の浄土」と呼ばれ、後白河法皇も御参拝になるほど広く崇敬を集め、「蟻の熊野詣」といわれるほどでした。
 熊野信仰の中でも特徴的なのは王子と呼ばれる神の存在です。王子は那智三社の御祭神に所縁の神々あるいは仏教神であるとされ、はっきりとしませんが、山中の参詣道にはこれらを祀る祠が無数に点在しています。巡礼者はこの祠をめぐりながら、熊野を目指したのです。
吉野・大峰 〜山岳修験道の聖地〜
  桜の名所として名高い吉野山は、日本修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた修験道の中心地でもあります。仏教と日本の民俗信仰が習合した修験道では、山伏による山野を駆け回るような、荒々しい修行が特徴です。
 吉野山から大峰山にかけての一帯は岩山や断崖が続き、山伏たちはここを聖地として心身の鍛練に励みました。この地では現在も厳しい禁制が守られています。
高野山 〜真言宗の総本山〜
  高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)は、弘法大師空海が開いた真言宗の寺院で、空海の廟所にして僧侶の修行の場です。空海は遣唐留学僧として唐に学び、新しい形の仏教を日本にもたらしました。現世での利益も与えるその教えは平安貴族を中心に信仰され、高野山は何百という塔頭が建つ、日本仏教の中心地のひとつとなりました。
参詣道
 紀伊半島の鬱蒼とした森の中を縫うように通る熊野三山への参詣道「熊野路」は、熊野を中心に様々な方向へ広がっており、その全長は四九〇キロにも及びます。東は伊勢神宮まで達しているので、これらの霊場から足を伸ばして参拝する巡礼者もいたのでしょう。最近は巡礼者に代わって多くのハイカーが訪れ、清新な森の空気と自然を楽しんでいます。
 この紀伊・熊野の自然も明治期に一度、開発のために失われかけました。これに、民俗学的にも学術的にも計り知れない価値があると主張して反対活動を行ったのが和歌山出身の博物学者・南方熊楠(みなみかたくまぐす)です。奇人としても知られる熊楠ですが、晩年には、生物学に深い造詣をお持ちだった昭和天皇へ、熊野の自然について御進講する栄誉に浴しています。
 

「世界遺産」とは、1972年の国連教育科学文化機構(ユネスコ)総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(通称:世界遺産条約)に基づき、遺跡・景観・自然など、人類が共有すべき普遍的な価値を持つと認められたもののこと。世界各地に、現在700件を超える物件が登録されています。