第7回 古都奈良の文化財 -前編-
 
  天平の文化が花開いた地・奈良には、千二百年以上の歴史を持つ社寺が数多くあり、また、豊かな自然も残されています。日本が大きな成長を遂げた時代を今に伝える奈良の文化財は、平成十年に世界遺産へ一括登録されました。登録を受けたのは東大寺及び正倉院興福寺春日大社元興寺薬師寺唐招題寺平城宮跡春日山原生林の九件です。これらを修学旅行などで訪れた方も大勢いらっしゃるかと思います。前編の今回は、奈良公園付近のものを紹介します。
 
 奈良公園の東奥にそびえる「奈良の大仏さん」で知られる東大寺は、聖武天皇の勅願により七二八年にその基となる金鐘山寺が建立されました。大仏さんこと毘盧舎那仏が安置される大仏殿は、現存する世界最大の木造建築です。大仏殿を前にすると誰もがその大きさに圧倒されますが、建立当時の規模は、現在の一.五倍もの大きさだったそうです。

 その裏手の
正倉院は、校倉造という三角形の木材を積み重ねる工法で建てられています。この倉には聖武天皇遺愛の品をはじめ、はるかシルクロードとのつながりを示す貴重な品々が収められています。これらはすべて皇室御物とされ、勅許なしに正倉院の扉が開けられることはありません。御物の一部は年に一度、奈良国立博物館の「正倉院展」で一般に公開されています。

 奈良駅と春日大社の間にある
興福寺は、奈良時代に台頭した貴族・藤原氏が建立した寺院。境内には奈良時代の五重塔から江戸時代の南円堂まで、広い時代にわたる堂宇が立ち並んでいて、建築様式の変化が見て取れます。興福寺にはまた、多数の仏像があり、多くが国宝や文化財の指定を受けています。中でも阿修羅をはじめとする八部衆立像や、旧山田寺仏頭の前には見学者が絶えません。

 
春日大社は本物件の中で唯一の神社です。創建は768年で、藤原氏の祖神を奈良の地にお招きしたのが始まりとされます。この時、神々は鹿の背に乗っていらしたことから鹿は春日大社のお使いとされ、手厚く守られてきました。今も国の天然記念物として保護され、奈良公園のいたるところでその姿を見ることが出来ます。御本殿は春日造と呼ばれる様式で、丹塗りも鮮やかな四棟が並び、国宝に指定されています。

 この春日大社の裏手にそびえる神体山・御蓋山と奥にそびえる春日山一帯に広がる広大な森が
春日山原生林です。承和八年(841)に春日大社の御神域として狩猟・伐採が禁じられて以来、千年以上も人の手が入っておらず、このため、カシ・シイ・ナギなどの学術上大変に貴重な原始林の姿が見られます。大正十三年にはすでに天然記念物に指定されました。御蓋山はまた、三笠山とも書きます。遣唐留学生として中国に渡り、その後、唐の官吏として重用された阿倍仲麻呂が詠んだ、百人一首のひとつ、「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」の「みかさ山」はこの山のことです。

 後編では、奈良公園から少し離れた四件を紹介します。
 

「世界遺産」とは、1972年の国連教育科学文化機構(ユネスコ)総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(通称:世界遺産条約)に基づき、遺跡・景観・自然など、人類が共有すべき普遍的な価値を持つと認められたもののこと。世界各地に、現在700件を超える物件が登録されています。