〜 信仰を訪ねて 〜 |
オシラサマのミステリー |
2.000km以上にわたって細長く伸びる日本列島では、地方ごとの特色に溢れた風俗が育まれ、様々な祈りの形が伝えられて来ました。中にはその起源すら定かでないものも、少なくありません。今回はそのような信仰のひとつ、東北地方のオシラサマの謎に迫ります。 |
オシラサマ、皆さんはこの名前をご存じでしょうか。オシラサマとは東北地方一円で信仰されている神様の名前で、明治時代以降、数多くの学者がその研究に取り組んできました。けれども、いまだその正体は謎に包まれたままです。東北一円という広い範囲で信仰されながらも、いつ、誰がどうしてこの神を祀り始めたのかすら、まったくわからないのです。 ●衣をまとう神 オシラサマは家々で祀られる神様で、大抵は神棚や仏壇、床の間がお祀りの場所。その御神体は、30cmほどの棒の先に男女の顔や馬の顔を描きあるいは彫り、これに「オセンダク」と呼ばれる布きれの衣を着せたものです。 オセンダクは年に一度もしくは二度、新しく上から着せられます。そのため年数を経たオシラサマはゆうに百枚を超えるオセンダクを纏い、ぷっくりと着ぶくれしています。 現存する最も古いオシラサマは、室町時代のものとのこと。これらを始め各家のオシラサマはいずれも永い歳月を経たものばかりですが、その由来は家族でも知らないことがほとんどです。 ●馬と娘の恋 オシラサマは家の守り神であると同時に、農作の神、病気平癒の神などの役割も担いますが、養蚕の神として信仰も篤く続いています。これは、オシラサマの起源を伝えるひとつの物語に基づきます。 昔ある長者の娘が、その家で飼う一頭の美しい馬に恋をします。それを知った長者は怒り、馬を殺してしまいます。嘆き悲しんだ娘は、ついに馬と共に天へ昇ります。この娘と馬が、オシラサマになったというのです。そしてその時娘は父親の元に蚕を残し、その絹糸で一生安楽に暮らすことが出来ると言い残しました。そのため、オシラサマは養蚕の守り神とされたのです。 ただ、この伝説は元々あったオシラサマの信仰を後世説明づけたものともいわれ、そもそもの起源については諸説あり、いまだ明かされずにいます。 ●オシラサマの禁忌(タブー) さて、前述したオセンダクを着せる日には、前号で取り上げたイタコがそれぞれの家に来てオシラサマを独特の作法で祀ります。これをオシラアソバセといいます。イタコはオシラサマを手に操りながら、祭文という唱え言を延々と奏上します。 こうしたイタコが来ない家では、その家の主婦が祀り事を行います。オシラアソバセは決して男性が行ってはならず、また他家の者が行ってもなりません。実はオシラサマには、こうした禁止事項、すなわち禁忌が数多く存在します。 例えば、オシラサマは肉や卵を嫌うので、お供えはもちろん人間が食べるのもはばかられるとのこと。当然祭りの日は、肉食厳禁です。またオシラサマの言いつけに逆らったり粗末に扱うと、大変な罰が待っているそうで、そうした祟りについての言い伝えも数多く残っています。人々はオシラサマに感謝を捧げると同時に、非常に現実的な畏怖も抱いているのです。 謎の神、オシラサマ。身に纏う布一枚一枚が、この神のミステリーそのものかもしれません。 |