〜 信仰を訪ねて 〜 |
切なる思いは白き幣へ いざなぎ流 |
2000km以上にわたって細長く伸びる日本列島では、地方ごとの特色に溢れた風俗が育まれ、様々な祈りの形が伝えられて着ました。今回ご紹介する「いざなぎ流」では、人々の祈りは幣の姿へと集約されます。そこに託された思いとは、どのようなものなのでしょうか。 |
昔々……あるところにとてもとても占いの上手な女の子がいました。名前を、天中姫宮といいました。姫宮はある日、天竺、つまりインドに住むといういざなぎ様の話を耳にしました。いざなぎ様は不思議な術の達人。そこで姫宮は、いざなぎ様に弟子入りしようと天竺へ赴きました……。 7歳の天才少女の天竺訪問、これが今回ご紹介するいざなぎ流の誕生譚です。 ●物部のいざなぎ流 いざなぎ流が伝承されたのは、高知県香美市物部町(旧物部村)を中心とする一帯。高知県の北東部、徳島県との県境に位置する物部は、平家の落人伝説が息づく山深い山村です。 そんな山村だからこそ奇跡的に守られてきたいざなぎ流は、陰陽道を中心に神道・仏教・修験道等が融合した大変特殊な民間信仰で、神楽舞は国の重要無形民俗文化財に指定されるほどです。 ところで、前述の陰陽道という言葉はご存知の方もいらっしゃるでしょう。陰陽道とは天文学や暦学、更には占いや呪いなどを専門とする思想学問で、陰陽道のプロである陰陽師は古代日本では国家公務員として重視されていました。 いざなぎ流の成立は中世末期と言われますが、現代に至るまでほぼ昔のままの姿を留めており、「現代の陰陽師」と称されるほど。そんないざなぎ流の主役が、太夫です。 ●御幣と祭文 太夫とはいざなぎ流における宗教者のことで、世襲制ではなく師弟制であり、希望すれば誰にでも門戸は開かれています。けれどもその修行はたやすいものではなく、一人前の許しを得るまで10年はかかるとのこと。その修行の中で必ず習得しなければいけないのが、御幣と祭文です。 御幣は幣とも呼ばれる、和紙を木の串に挟んだもの。神社の社殿等で目にしたことがある方もいらっしゃるでしょう。 この御幣、彼らにとってなくてはならないものです。なぜなら、いざなぎ流には常に拝むことの出来る神仏の像などがなく、御幣にそれらの霊を呼び込むから。いざなぎ流の御幣はその形状が大変特徴的なのですが、祭る神々の数が多い上に神ごとに御幣の作り方が異なるため、その種類も200を下りません。 一方の祭文はいざなぎ流における経典であり、神話でもあります。太夫は多数の祭文により、神仏や祖霊に語りかけるのです。冒頭にご紹介した逸話は、そのひとつ「いざなぎ祭文」に記されたもの。お気付きのように、神道における伊邪那岐命とは関係ないと考えられています。 ●自然と人との調停 さて、太夫の仕事は氏神様や家の祭り、病気治し、占いなどいくつもあります。が、最も大切な仕事が「鎮め」、すなわち神様の御心を鎮めることです。 「山のものは山へ、川のものは川へ」。この言葉はいざなぎ流の真髄ともいえるもの。山のものを侵したなら、山の神へお返ししなければならない。神は自然に棲まうものであり、人は神の領域を侵してはいけない。もしもお叱りを受けたときは、太夫が相応の祭りをして神の御心を鎮めなければならない。そう、神と人との仲を取り持つのが、太夫なのです。 神々が宿る御幣。そこには、自然の領域を畏れ守り、ともに生きてきた村人たちの想いが託されています。 |