第15回 古都京都の文化財(その四)
 
 日本文化の中心といえる京都の世界遺産の紹介も、今回が最終回となります。

 京都市街の南部は洛南と呼ばれ、平安時代以降も奈良・大坂へ向かう街道筋として栄えました。洛南の大寺院、醍醐寺(だいごじ)の創建は平安初期の貞観十六年(874)。修験者の霊場であった醍醐山頂上付近(上醍醐)と伽藍が建つ山裾(下醍醐)の二つの区域にまたがって発展しましたが、戦国時代にはすっかり荒廃してしまいます。太閤・豊臣秀吉がその晩年に催した「醍醐の花見」をきっかけに現在のような姿に復興されたものです。下醍醐の五重塔は創建当時のもので、内部の壁画は平安絵画の遺品として大変貴重な例です。

 洛南からさらに南へ下ると、やがて宇治にたどり着きます。宇治と言えば、十円硬貨の図柄としてお馴染みの平等院。硬貨に描かれた鳳凰堂は東向きに建てられ、西方浄土の阿弥陀如来を拝する形になっています。この平等院は、源融や藤原道長らの別荘でしたが、道長の没後、永承七年(1052)に息・頼道によって寺院に改められたものです。源融・藤原道長は『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとも言われており、宇治は物語終盤の舞台になっています。

 平安京を見守るようにそびえる比叡山。ここに建つのが天台宗の総本山である延暦寺です。宗祖・伝教大師最澄が勅許を得て、延暦九年(788)に開きました。うっそうたる山内には、根本中堂を中心に多数の建物・塔頭寺院が点在します。この延暦寺には「不滅の法灯」という灯明があります。創建以来、様々な天災・事件にあっても僧侶達が守り抜いた火で、いつの時代も世を照らす仏法の永続を表すものです。比叡山は京都府と滋賀県の県境に位置し、延暦寺の中心部は滋賀県になるのですが、平安京との深いつながりが考慮されて「古都京都の文化財」として登録されています。

 さて、京都の世界遺産めぐりもいよいよ大詰めとなりました。市街地へ戻りましょう。
 中心部のやや北側に建つ二条城が最後の世界遺産です。徳川家康によって建てられた二条城は朝廷との連絡役である京都所司代が留守を務め、将軍やその使者の上洛時の滞在地とされました。城内には狩野派など当時一流の絵師による襖絵をはじめ、絢爛たる装飾や調度が配されています。慶応三年(1867)十月、徳川十五代将軍・慶喜がこの二条城において大政奉還を決め、鎌倉開幕以来700年にわたる武士の時代が終わりを告げました。
 
 今回で国内の世界遺産をすべてご紹介しました。世界遺産への登録は、日本の素晴らしい文化や自然が世界から注目される良いきっかけとなっています。世界に誇れる我が国の伝統・文化・自然を、私達はこれからも守り伝えていかねばなりません。
 
 

「世界遺産」とは、1972年の国連教育科学文化機構(ユネスコ)総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(通称:世界遺産条約)に基づき、遺跡・景観・自然など、人類が共有すべき普遍的な価値を持つと認められたもののこと。世界各地に、現在700件を超える物件が登録されています。