〜 信仰を訪ねて 〜

湖水湛える聖地 諏訪(後編)

 長野県諏訪地方。この地を守る諏訪大社の主祭神は建御名方神ですが、その祭政に大きな影響を及ぼした、古い、もう一柱の神がいました。洩矢神です。
 今では表に名の出ることもないこの神こそ、縄文の頃より諏訪の土着の人々に崇められた神であり――――またの名を、ミシャクジ神と伝わる神です。

 

 
●ミシャクジ神

 ミシャクジ神は諏訪に限らず関東一円で信仰された神様で、霊威ある石や木に降りる畏き神霊を太古の人々がそう称しました。特に石棒の御神体が多く、これは生命を創出する力を持つ男性器を表したものと考えられます。
 すなわちミシャクジ神は子孫繁栄と豊穣の神であり、一方で強力な魔除けの神であったのです。
 諏訪大社の境内に建てられている御柱。勇壮な御柱祭で有名なこの柱は神の降りる目印とも、聖域を区別する結界の役目を担うとも言われますが、そもそもはミシャクジ神の御神体であったのでしょう。
 諏訪の地においてこの神を祀った一族は守矢氏といいます。そして彼らこそミシャクジ神――洩矢神の末裔であり、諏訪大社における筆頭神官である神長官を務めた家系なのです。

境内に屹立する御柱

 
●大祝(おおほうり)

 一方建御名方神の末裔である諏訪氏は、祭政の長である大祝を務めました。
 ただしこの大祝となれるのは、8歳の男児のみ。一年間その身体を神に捧げ、神を降ろし託宣をする。大祝はただの神官ではなく、生き神として崇められたのです。
 建御名方神と洩矢神。大祝と神長官。農耕民諏訪氏と狩猟民守矢氏。明治に至るまでふたつの力は絶妙なバランスのもと、諏訪を独自の聖域たらしめていたのです。


●御頭祭(おんとうさい)

 守矢家による洩矢神を祀る祭祀は惜しくも明治時代に絶えてしまいましたが、御柱祭にとどまらず、現在でもその片鱗を諏訪大社の祭祀に垣間見ることができます。
 例えば、御頭祭。4月15日に行われるこの神事では数々のお供えがなされますが、かつては75頭の鹿に加え、兎の串刺しや猪など生きた禽獣が供えられていたとのこと。現在は剥製が用いられているそうですが、元日に行われる蛙狩神事の際には、実際に川で冬眠中の蛙を矢で射り、刺さったままをお供えします。
 こうした神事は武勇の神である建御名方神よりも、縄文に遡る狩猟の神であり蛇神と伝えられるミシャクジ神、洩矢神の性格を反映していると言えるでしょう。
 御柱祭や御頭祭といった、現代人である我々からすれば荒々しく、猛々しく、けれども神秘的で激しい情熱を覚える諏訪の神事。そして、社に鎮まる御柱の凛とした姿。我々がそれらに惹きつけられるのは、そこに宿る太古の記憶のゆえかもしれません。

御柱祭の危険な木落とし