〜 信仰を訪ねて 〜 |
祈りと誓いの呪符(じゅふ) 熊野牛王宝印(くまのごおうほういん) |
この夏行われたサッカーワールドカップ。日本チームの繰り広げた数々の熱戦に、興奮と感動を覚えた方も多いことでしょう。 三本足の烏―彼らのユニフォームのエンブレム、そして日本サッカー協会のシンボルマークにの描かれた、黒い不思議な姿。その正体は日本神話で活躍する霊鳥、八咫烏(やたがらす)です。日本有数の霊場・熊野に現れた漆黒の鳥が、今回の主役です。 |
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●導きの霊鳥 紀伊半島の南部、三重県と和歌山県に跨る一帯を熊野と呼びます。世界遺産にも登録されているこの場所は千メートル級の山々が連なり、熊野三千六百峰と称されるほど。人を寄せ付けない鬱蒼と広がる深山は自然と神聖視され、古来魂が集う聖地として信仰されてきました。 八咫烏はそうした熊野に鎮まる神の御使いと伝えられます。日本神話の中で、大和へ向かう道中難儀される神武天皇(じんむてんのう)を助け導いた八咫烏。きっとこの「導き」の力こそ、世界に挑むわが国のサッカー協会のシンボルマークに描かれるに至った所以でしょう。 |
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●烏文字 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社。熊野信仰の中心地であり、熊野三山と総称されるこれらの社では、牛王宝印(ごおうほういん)と呼ばれる護符が授与されます。 この護符、一見して奇妙かつ異様。私たちが日頃目にする御札とは大きく違います。 理由は、烏文字。「熊野山宝印」或は「那智瀧宝印」との言葉が、烏を象った文字で護符に記されているのです。もちろんこの烏は、八咫烏に他なりません。 火難除け、盗難除け、病気平癒等の祈願に使われた牛王宝印。けれどもこの神札にはもう一つ、重要な使われ方があります。誓約です。 ●牛王宝印での誓約 白鳳十一(671)年に記録が確認される牛王宝印ですが、誓約書として使われた初の記載は文永三(1266)年のこと。護符の裏面に起請文(きしょうもん)、つまり誓いの文章が記されました。この誓約書としての使用は南北朝以降武将を中心に広くなされるようになります。 神様の名前の裏に誓いを書くのですから、当然神様に誓ったのと同じ。もしも誓いを破れば…熊野の烏が三羽死に、破った本人は血を吐いて死んだ上、地獄に堕ちるとのこと。 また牛王宝印を焼いた灰を水で飲むという誓約の仕方も。牛王宝印を焼けばそこに描かれた数の熊野の烏が死ぬといい(本宮大社のものであれば88羽です)、誓いを破った途端その罰が下り、死に至ります。 凄惨な罰は当然恐れられます。「嘘をつかずに真実を語ると、牛王宝印に誓え」。心にやましいところがある者は、こう迫られただけで自白をしたといいます。 牛王宝印での誓約。確かにその罰は恐ろしく、命懸けの誓いといえましょう。けれどそこに込められた覚悟は、現代の私たちが忘れているものに思われます。 八咫烏が導くのは、偽りのない、覚悟に満ちた生き方。この黒い鳥を誰もが胸に抱き、生きていくべきではないでしょうか。 |