両陛下にお会いして |
このたび天皇皇后両陛下には東京大空襲を経験した3名の皆さんと御懇談になられました。そこで次に皆さんより所感を頂戴いたしましたのでご紹介いたします。 |
御懇談された3名の皆さん(右より早川さん、石井さん、宍戸さん) |
早川幸男(江東区永代在住・空襲時16歳) |
天皇皇后両陛下と、テーブル一つ隔てただけの至近距離でお会いできるなど、思いもよりませんでした。 |
石井清子(江東区富岡在住・空襲時12歳) |
このたびは天皇皇后両陛下と御懇談する機会をいただき、身に余る光栄と深く感謝しております。 |
身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて |
この昭和天皇の優しいお心を反映することもなく8月15日まで戦争が続いてしまいました。もしもこのお歌のとおり早くに終戦を迎えていたなら、広島も長崎も沖縄も何百万人の人々の命が救われていたのではないかと私は心から残念に思いますと両陛下に申し上げました。 |
宍戸芳子(江東区住吉在住・空襲時20歳) |
戦後67年となる平成24年夏、また終戦の日がやってまいりました。戦前戦中戦後を生きて来た私が今日あるのは3月10日の東京大空襲を生き延びたからです。当時20歳の私は戦地に赴いた兄、疎開している母と弟妹達を除き身障者の姉、警防団の父、中1の妹、私の4人は戦火の中に暮らしていました。 |
|
江東区と東京大空襲 |
昭和19年(1944)7月、サイパン島の日本軍守備隊が玉砕し、同島は米軍のB29爆撃機の出撃基地となって、以後日本は空襲にさらされることになりました。11月以降、東京も百回以上の空襲を受けましたが、特に昭和20年3月10日の空襲は「東京大空襲」と呼ばれ、死者・行方不明者が10万人以上に及びました。 |