第1回 法隆寺地域の仏教建造物

 悠久の歴史を持ち、美しい自然に恵まれた日本からは現在、13件の世界遺産が登録されています。今回はその中から、平成5年に国内第1号の指定物件となった奈良県「法隆寺地域の仏教建造物」を紹介します。

 法隆寺は、言うまでもなく現存する世界最古の木造建造物で、第31代用明天皇の皇子である聖徳太子が607年に建立したと伝えられています。この時の建造物について、日本書紀には670年に全焼したという記録があり、明治以降、法隆寺の再建・非再建をめぐる大論争が繰り広げられました。しかし、昭和14年に現在の伽藍より南東にずれた場所から焼失したと思われる寺院遺構(若草伽藍)が発掘され、また、近年行なわれた用材の年輪測定結果から、現在の建造物は7世紀末に再建されたものと判りました。正確な再建年代は不明ですが、最も遅い時期を想定しても、法隆寺の建物は幾度の修理を受けながら1200年もの年月に耐えてきたことになります。後世増築されたものも含め、建造物の大半は、国宝や重要文化財の指定を受けています。

 また、法隆寺には多数の国宝仏像もあります。中でも八角形の夢殿に安置された救世観音像と、金堂の釈迦三尊像は、飛鳥様式と呼ばれるその独特の造形美で人々を惹きつけて止みません。

 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺・・・・・法隆寺周辺の斑鳩地区には、いまだのどかな風情が残っていますが、ここには聖徳太子所縁の寺院がいくつかあります。そのうちの法起寺は、聖徳太子没後、太子所縁の岡本宮を息子である山背大兄王(やましろのおおえのみこ)が寺に改めたものと伝えられ、法隆寺とともに世界遺産に登録されています。24メートルの高さを誇る三重塔は創建当時のもので、日本最古の三重塔として国宝指定を受けています。

 法隆寺に隣接する中宮寺は、聖徳太子が御母、用明天皇皇后・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)の御所を寺としたものと伝わり、木造菩薩半迦像(寺伝・如意輪観音)と、聖徳太子をしのんで作られたという刺繍「天寿国繍帳」(てんじゅこくしゅうちょう)、2つの国宝で知られています。菩薩像の柔和な表情は、法隆寺の仏像群とは好対照といえましょう。法隆寺の北東、約1キロメートルにある法輪寺には、かつて国宝指定を受けていた五重塔があったのですが、昭和19年に落雷によって焼失してしまいました。これを惜しんだ作家・幸田文(こうだあや)らが発起人となって昭和50年に再建され、斑鳩の里に立派な姿を見せています。

 飛鳥時代に建立された寺院の多くは、聖徳太子や太子ゆかりの人々によって建てられたものです。太子は、当時中国大陸を支配した隋から先進文化を進んで取り入れ、これが日本の文化的発展の礎となりました。その遺徳を慕ってのことでしょう、当神社境内にも聖徳太子社がお祀りされています。また、数々の寺院建立にちなんでか、地方によっては聖徳太子を建築の神として祀るそうです。

 このほかにも斑鳩地区には、金銅金具の馬具など多数の副葬品が発見された藤ノ木古墳や、奈良時代の大規模な遺構を整備した上宮遺跡公園などがあり、古代へのロマンをかきたてます。

 法隆寺は日本の宝であるとともに、世界遺産という全人類の誇りに挙げられたものです。つい先日、法隆寺東大門への落書き事件が話題になりましたが、我々の祖先が残した素晴らしい文化や歴史を未来へ守り伝えるためにも、こうした心無い行為がなくなることを切に願います。

 

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「世界遺産」とは、1972年の国連教育科学文化機構(ユネスコ)総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(通称:世界遺産条約)に基づき、遺跡・景観・自然など、人類が共有すべき普遍的な価値を持つと認められたもののこと。世界各地に、現在700件を超える物件が登録されています。