日本最南端の地・沖縄県には、本土では味わえない南国の風情があふれ、多くの観光客で賑わっています。
 沖縄は明治12(1879)年に正式に鹿児島県に編入されるまで琉球王国と呼ばれ、東南海貿易の一大拠点でした。このため、日中双方の文化を取り入れた独特の文化が育まれたのです。近年、音楽や料理などの沖縄文化が注目されていますが、当地の信仰形態は民俗学の見地から実に興味深いものがあります。

●ノロ(祝女)
 15世紀後半、琉球王国最盛期の王・尚真(しょうしん)は、それまで各地域・村落ごとに行なわれてきた祭事や、これを取り仕切る司祭に対する改革を行ないました。改革以前の信仰形態は村落が基本の単位で、村落代表者の近親女性(多くは姉妹)がその村の祭祀を行なっていました。琉球では、女性には霊的な守護を与える力があるとされ、その力は特に女性の兄弟や子に対して発揮されると考えられたためです。こうした女性祭祀者は根神(ニーガン)と呼ばれ、村の守護神そのものとして崇められました。
 政治組織が整備される中で、村落の代表者は按司(アジ)と呼ばれる領主となります。その一環として尚真王(しょうしんおう)は各地の根神を官人に任じ、地域ごとの信仰を全土に及ぶ宗教組織に再編して、精神面からの統治を図りました。組織は、王の近親女性(後には王妃が兼ねる)、すなわち王にとっての根神であり、王家・国家の祭儀を行う聞得大君(きこえおおきみ)を頂点とし、末端である村落の根神に至るまで40余りの階級に分かれていました。この組織における根神をノロ(祝女)と呼びました。ノロとは「(願い事を)宣(の)る人」という意味の言葉です。
 ノロは、大は国家、小は村落を対象とする公的な祭祀を執り行いました。

●ユタ
 ノロが公的祭祀を行なうのに対し、ユタは神おろしや占いといった個人的な祈祷を依頼に応じて行う巫女です。祖先崇拝の強い琉球では、供養が十分であるかを祖霊に問うたり、また子孫への加護を願うために、ユタに橋渡しを依頼したのです。
 託宣や占いのほかにも、東北地方のイタコのように死者の霊を呼び出す「口寄せ」や、病気治療もユタの職分でした。
 ユタは、血統によって国家から任命されるノロと異なり、生得の体質や才能によって選ばれました。こうしたシャーマンは全世界に見られます。

●ウタキ(御嶽)
 沖縄各地にウタキと呼ばれる場所がありますが、これはノロ制度が完成する以前から祭祀が行われてきた聖地です。
 ウタキには一般に社殿がなく、中心部に香炉が置かれるだけです。ウタキ域内のガジュマルやビンロウなどの巨木や石に、天、あるいは海の彼方の国・ニライカナイから神々が降りてくるとされました。これは神道における神籬(ひもろぎ)や磐座(いわくら)と非常に良く似た考え方です。
 こうしたウタキは琉球時代には1村に1ヶ所、全島で約600ヶ所あったといわれています。また、「拝む場所」という意味の「ウガンジョ(拝所)」と呼ばれることもあり、今日でも熱心に祈りを捧げる人の姿が珍しくありません。その中でも最も重要な聖地とされる斎場御嶽(セーファーウタキ)は、琉球独特の文化を今に伝えるものとして、世界遺産に登録されています。