〜 信仰を訪ねて 〜

秋田県 なまはげ行事

2000km以上にわたって細長く伸びる日本列島では、地方ごとの特色に溢れた風俗が育まれ、様々な祈りの形が伝えられて来ました。そこには、私たちが忘れた祖先の祈りの形も残っています。今号では有名なあの行事を通して、お正月における祖先の祈りを見つめてみましょう。
 
 雪深い村里に訪れる、異形の鬼。蓑をまとい、出刃包丁を片手に家々を訪れては荒々しく怒鳴りつけ、子供を恐怖のどん底に叩き落とす。そして、「泣く子はいねが〜!」の決め台詞…。
 とくれば、もうお分かりでしょう。そうです、有名ななまはげですね。
 なまはげは秋田県男鹿半島に現在も伝わる、伝統行事です。元来小正月(旧暦一月十五日)に行われるこの行事、テレビなどで一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。鬼の奇抜な風体と独特の台詞は、一度見たら忘れられません。
 ですがこのなまはげ、ただ単に恐ろしいだけの行事なのでしょうか。そもそもなまはげとは、一体何者なのでしょう?

●なまはげ=神様!?
 「なまはげ」とは、「ナモミ剥ぎ」から来ていると言われます。ナモミとは、火傷痕のこと。冬に囲炉裏にばかりあたっている怠け者を、懲らしめる存在というわけですね。つまりなまはげには、多分に道徳的役割があるのです。
 確かに現在でも、なまはげが狙うのは子供ばかり。あの形相で「悪い子でねえが!?」と怒鳴られたら、いい子にならざるをえないですね。
 怠け者や子供たちにとっては、そんな恐怖の対象のなまはげですが、なんと家人はこれを丁重にもてなします。正装し、迎い酒を振舞い、ご馳走を並べます。もてなしを受けたなまはげは上機嫌で、最後にその家を祝福する言葉を述べるのです。
 ここに、なまはげのもう一つの性格が発見できます。すなわちなまはげとは、訪れた家に祝福をもたらす存在、外界からの「来訪神」と考えられるのです。あの鬼の正体は、実は神様だったのですね。
 なまはげは毎年小正月に来訪するわけですが、この「神様が毎年訪れる」という感覚、私たちに最もわかりやすいのは、お盆行事でしょう。祖先の霊が毎年決まった時期に訪れ、去っていく。実は「訪れ、去る」というこのサイクルは、日本人の信仰の根本にかかわってくるのです。

●年神様
 なまはげは小正月の習慣と冒頭に紹介しましたが、なまはげにとどまらず、そもそも私たちの祖先はお正月には「神様がやってくる」と信じていました。この神様、年神様と呼ばれます。
 あまり聞きなれない名前かもしれませんが、その信仰の形は、実は現代のお正月にもたくさん残っています。
 門松や松飾は、年神様に来ていただくための目印。鏡餅は年神様へのお供え物。そしてお年玉は、「年魂」…年神様の力の宿るお餅だったのですね。
 年神様をきちんとお迎えしていた頃は、大晦日の晩に外出なんてもってのほか。その日は家族で心静かに年神様をお迎えし、おもてなししていたのです。
 現在のように大晦日の晩や元旦に神社に参拝する風習ができたのは、実は明治に入ってから。初日の出を拝みに外出、なども、つい最近の慣習と言えましょう。
 かつてとまるで様変わりした、私たちのお正月の過ごし方。けれどもなまはげのような伝統行事に、私たち祖先のお正月への祈りの姿が、今も息づいているのです。