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持ち前の怪力で天下無双と呼ばれるようになった丸山は、寛延二年(1749)8月、師匠と同道して熊本に赴き、吉田司家より故実門人の免許を受けます。(これを以て横綱という見方が丸山を三代横綱とする所以です) そして、同年10月には熊本藩抱えの大関阿蘇ケ嶽とともに玉名、大牟田、柳川と興行を行い大盛況、やがて長崎に乗り込みますがそこで発病し、手厚い治療の甲斐なく37歳で他界しました。 お墓は長崎市本河内町にあり地元の人々によって供養され、郷里の中津山松寿院境内には遺髪、遺品を納めている「丸山堂」が作られて、墓碑が安置されています。 また平成10年には出身地である宮城県登米市の「道の駅米山」に銅像が建てられ訪れる人々を威風堂々と出迎えています。 |